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ジェイソン・ライトマン監督
『ヤング≒アダルト』

“幸せの呪い”

文=

updated 02.23.2012

ヒロイン(=シャーリーズ・セロン)は田舎町を脱出し、都会で“業界”に入り込み、ゴーストライターではあっても一応作家として身を立てている。セックスをしたいと思えば相手くらいすぐに見つかるし、小ぎれいなマンションだって手に入れてある。だがふと気づくと、故郷の救いがたくイケてない連中から我が身を引き離したい一心で突き進んできたそのモチベーションを支えていたイケてない田舎町の住民たちの姿は当然周りになく、自分がどれほどイケているのかを確認できない。担当しているヤングアダルト小説のシリーズも打ち切りを宣告されているし、大都市にあっては、その他大勢のひとりにしか過ぎない空虚な毎日を送っていることをイヤでも認識せざるを得ない。要するに自分もまた、どこまでもかけがえのある一個人にしかすぎないのだ。それにひきかえ、チアリーダーとして好き放題に男と遊び回っていた高校時代は、唯一無二の存在として輝いていた。元カレが、自分の子供の命名パーティーへの招待メールを送りつけてきたときに、そんなことが彼女の頭を過ぎる。

たしかにこれは、多くの人びとにとって、痛いほど身に覚えのある状況だろう。あの閉塞した息の詰まる腐れ切った日本を飛び出て海外へ移住を試みたものの、彼の地にあっては外国人のひとりに過ぎず、現地人の間に溶け込むためのウリは“日本の伝統文化”、口をついて出るのは日本の批判ばかりという例ならよく目にするではないか。あの手の連中と同じこと。

しかしこの映画のヒロインの場合、“チアリーダー・ビッチ”としてブイブイ言わせていた高校時代を持ちながらも田舎町を脱出し得た時点で、平均以上の向上心を持っていると言わなければならない。なにしろ映画その他でよく見かけるパターンは、高校時代にイケていた男女が十年後には醜く太り、子供を腐るほど産み落としているという図の方なのだから。

もちろん、その向上心こそが彼女に「幸せの呪い」をかけ、闇雲な行動化→充たされぬ気持ち→酒を浴びるほど飲む、という悪循環を発生させている。つまりは、イケてない連中がなぜイケてないのかと言えば、現状に満足できるからで、現状に満足できる連中はそれが故に幸せなのである、という普遍的な構図がそこにある。そして我々の生きるこの現代社会は、人生への諦観に陥ることなく現状を肯定することができないようになっている。“イケてない停滞”=“安定”に安住できない人間が「幸せ」を手に入れることは、定義上あり得ない。だから、ヒロインもまたムダなきりきり舞いを繰り返した後、出発点に戻ることになる。

あらかじめ書いておくが、この映画の最大の魅力は、上述の構図を素直に受け止め、「いや、それでも我々にはこういうふうに幸せな生き方がありうる」式の欺瞞を繰り出さず、その欺瞞に幻惑された人間の足掻く姿がどれほどまでにイタく醜く滑稽なのかという真実を、ひたすら提示することに徹していることにある。だから、かなり笑わされることにはなるが、心温まることはない。ヒロインを田舎町に呼び返したメールも、一見ある人物の善意によるものであるかのように説明されるが、それは諦観せざるを得なかった停滞者による意識せざる悪意に支えられていたと言わざるを得ない。もしこの映画を見て心温まったのだったとしたら、あなたはまさに今、イタい姿を晒しまくっているのかもしれないということになる。

そしてもちろんこういう映画は、一歩間違えば作り手の個人的ルサンチマンに充ちたただの露悪に陥りがちなものだが、ジェイソン・ライトマンはいつもながら主題から絶妙な距離を保つことで、バランスの取れたエンターテインメントに仕上げることに成功している。この作品は、彼のフィルモグラフィーの中でも特にタイトな出来で、ムダも隙もほとんどない。

『ヤング≒アダルト』
2012年2月25日(土)TOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー

□ オフィシャルサイト
http://www.young-adult.jp/

公開情報

© 2011 Paramount Pictures and Mercury Productions, LLC. All Rights Reserved.



初出

2012.02.23 09:00 | FILMS