どういうわけかザ・キュアーの『ディスインテグレーション』を聴きたくなり、そういえばカセットで聴いていたからCDは持っていなかったんだと思い出し、21周年盤を23周年目に購入したばかりのことだったからなおのこと、冒頭、ショーン・ペン演じる惚け顔の主人公の背後で鳴っている時空のハッキリしない音楽がことさらに飛び込んできて、なるほどこれはまさに残響だけで作られた映画なのだな、と了解する。
その主人公シャイアンは、まさにロバート・スミスの抜け殻のような存在で、もはや生きるためにどんな仕事もする必要のない環境の中で毎日を過ごしている。シワの浮いた中年過ぎの顔はメイクされているし、長髪もいちおうこんもりと盛られている。ヘアメイクから黒装束にいたるまでのすべては、彼なりにぶれない生き方をしているということではなく、かといって、現役時代から惰性で続けられているということでもない。むしろ、ロック・スターであった当時の残響そのものとして存在している彼にとって、それこそが身体のすべてなのである。
ジェンダーを交換したように男性的な快活さを持つシャイアンの妻(フランシス・マクドーマンド)は、残響としての夫の身体が存在することではじめて機能しているように感じられるという意味では、残響の残響ということになるのだろうし、父の訃報を契機として旅に出たシャイアンの前に登場する「ナチ・ハンター」モーデカイ(ジャド・ハーシュ)もまた、わかりやすく第二次大戦の残響そのものの人生を歩んできている。その彼から知らされたのは、ユダヤ人である父が、アウシュヴィッツで出会ったひとりのSS隊員を30年間にわたって追っていたという事実であり、つまりは彼の父もまたホロコーストの残響であったのだ。そしてシャイアンは、父の生きた残響を引き請け、自ら追跡を始めることになる。
第一印象では幼稚と感じさせられたものが、しばらく時間をおくことで、洗練からはほど遠いものの、もしかするとこれは粗く厳しい熟成のようなものだったのかもしれないと、いつのまにか考え始めさせられているのは、そのためなのだ。
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『きっと ここが帰る場所』
ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマライズ他全国ロードショー公開中
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□ オフィシャルサイト
http://www.kittokoko.com/
初出
2012.07.03 08:00 | FILMS