日本というマトリックスの起源として
文=川本ケン
たしかに、2010年という年に公開される映画として「安保」を扱う場合、どのように見せても不足や過誤を指摘されるに決まっているわけで、企画そのものが徒労に終わる可能性は極めて大きい、と考えるのが自然だろう。
だがそうした懸念を超えて(おそらく)成立したこの作品は少なくとも、その予めの徒労感こそが、もしかすると「安保」以降の日本を充たす見通しの悪い景色に通底するものなのかもしれない、と指摘してみせることには成功しているのではないだろうか。
すなわち、大きな政治構造は所与=不動のものでそれを変えることはできないのだから、ムダなことはよして日々の欲望の充足にだけ意志を集中させよう、という姿勢のことを、である。
「60年安保闘争」の記録ではなく、日米安全保障条約あるいは「安保闘争」の敗北が、日本における表象物に落とした影を収集する、というのが本作の主旨である。
もちろん基本的には、「汚いアメリカ人が汚い日本人を巧みに用いて成立させた条約」、「それに対して一般日本国民は過去に例を見ない団結ぶりを示しながら抵抗したが、それらはすべて暴力的に無視され、条約が成立した」という素朴な認識を超えるものは示されない。
だが、ここで紹介される「アート作品」の見せる「メッセージ」の有り様は、「ちんけな日常にテーマを見つけるしかない=大きな問題をなんにも抱えない現代日本社会」の貧しさという、創作活動に関連して我々の抱える、もうひとつの素朴な認識を揺るがす直截的な具体性を備えていることには気づかざるを得ないだろう。
細かな政治/歴史認識はともかく、その事実が新鮮であることだけは認めなければならない。
では、我々の日々感じているこの感覚のどこからどこまでが、60年に成立したマトリックスによるのか。境界を精密に見極めようとし始めれば陰謀論の無限循環に陥るほかないのだが、それは実のところ、バカみたいに単純明白な現実でもある、ということなのだ。
『ANPO』
渋谷アップリンク、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開中
【関連サイト】
『ANPO』のオフィシャルサイト
http://www.uplink.co.jp/anpo/
公開情報
スチールは、画家の中村宏氏
初出
2010.10.04 11:00 | FILMS