事前情報無しでファースト・ショットを見る。なるほど、新宿を捉えた真俯瞰だけど、どこから撮っているのだろう? 次のショットは新宿駅東口の一部分が、狭くもないけれどあまり広くもない画角で捉えられる。結構長いショットで、そのうちちょっとした違和感を覚え、それが「80年代っぽさ」であることに気づくのだが、そうするとたしかに、無数に行き交っている人びと全員が注意深く「80年代化」されていて、次のショットではもう80年代を舞台にしているというよりも80年代に撮られたショットのように感じられることを認めざるを得なくなる。そして上京してきた主人公の青年が、狭いアパートに到着する頃には、つい最近まで地続きのように感じられていた「80年代後半」という時代が、もはや「今」とは完全に断絶された時空に存在しているという事実を、改めて痛いくらいに感じさせられることになる。
失われたものの力に吸い寄せられながら感傷に浸ることほど時間の無駄はないし、「あの頃」がそんなに良い時代だったはずもないのだからと、なんとかしてそういう気分を振り払おうとするのだが、それでも振り払いきれずノスタルジーの中にガッチリとはめ込まれてしまうことになる。しかもそこには、失われてしまった悲しみではなく、無根拠な幸福感が充填されていて、それがこちら側にも滲み出てくる。要するに、例えば『耳をすませば』のような作品が、狭くて貧乏くさいはずの団地という居住空間を魅力的なものとして映像化して見せたのと同じ魔法が働いているわけで、そのことに根拠などあろうはずもないのだ。
また、「もう少し映画全体の尺が短ければ」などと呟きたくもなるが、極めて映画的な禁欲を守り、カメラはあまり回り込まず、寄り過ぎず、切り返し過ぎず、という具合にショットを積み重ねてきておきながら終盤突然アップの切り返しを見せるといった具合の、「ベタ」さを回避しない基本姿勢を貫くのであれば、最後の30〜40分間が長すぎるかも知れないと感じさせたとしても、「もう少しだけこの時間を過ごしたい」というより、「もうわかってしまった謎をそれでもちゃんとこの目で見届けたい」という気持ちを尊重するという選択は、アリだったと考えたい。
「平凡な時間のかけがえなさを巧みに映像化」と言ってしまってはあまりに簡単にすぎるが、なかなかできることではない。それはとてつもない虚構を組み上げなければならないということであり、特に今の日本の娯楽映画としては、もっとも困難なジャンルのひとつなのかもしれない。
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『横道世之介』
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初出
2013.02.26 13:00 | FILMS