この映画は、そうしたものすべてを、ほぼフィックスの画面で捉える。ペドロ・コスタのような審美的で微動だにしないフィックスではなく、人物の動きに合わせてフレームは動くし、特に歩いて行く子どもの後を追うショットは多く自由ではある。被写体との距離を一定に保ちながら寄り添う、という視線のあり方を自然に保っていると言えばよいのか。
だが一定に保つとは言っても、ニュートラルな視線を保とう、あるいはカメラの存在を消し去ろうという意識はない。撮影者の荒い息づかいは終始収められているし、子どもたちもちらりちらりとカメラ目線を寄越す。だが、カメラの存在によって被写体が行動を変化させているという感覚はあまりない。
おそらく作り手が自らに課した唯一の禁じ手は、被写体の視線に合わせたパンだろう。あるいは、観客の欲望に沿ったパンと言っても良い。そういうときには必ず切り返しが行われ、そこで極めて映画的なダイナミズムが発生する。それは空間感覚ということでもあるし、ということはアクションそのものであったり、エモーションの起動ということでもある。
かくして、かわいそうなだけでもなく愛らしいだけでもなく、完全に自律した現実を奇跡的なタイミングと視線で切り取って見せるこの映画は、153分の尺を持っているにもかかわらず、ラストショットがやって来る頃には、そういうわけで、もう少しだけ眺めていたいような名残惜しい気持ちにさせるのである。
しかも、映画を見終えた後でプレス資料を確認すると、撮影は合計20日間あまりで行われたのだという。何年も住み着いて撮影したのでなければ出くわせないような出来事をこれだけ捉えられているのは、一体どういうわけなのか。首をひねるばかりである。恥ずかしながらその長尺ぶりに恐れをなして未見のまま来てしまった『鉄西区』を見るべき時が来たということなのだろう。
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『三姉妹〜雲南の子』
シアター・イメージフォーラムで公開中。ほか全国順次ロードショー
(c)ALBUM Productions, Chinese Shadows
配給:ムヴィオラ
公式サイト www.moviola.jp/sanshimai
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初出
2013.05.29 09:30 | FILMS