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『わが父、ジャコメッティ』

悪魔のしるし主宰・危口統之インタヴュー

インタヴュー・文=

updated 10.08.2014

この「悪魔のしるし」という団体名は、危口の敬愛する英国のロックバンドBLACK SABBATHの「SYMPTOM OF THE UNIVERSE」の邦題、「悪魔のしるし」に由来している。では、悪魔のしるしとは何をやっている集団なのか。演劇と言えば演劇だし、パフォーマンスと言えばそうなのだが、そういうカテゴライズをしていいものかと思わず躊躇してしまう。過去の作品だと、とうてい入らなそうな巨大かつ複雑な構造をもった物体をただただ搬入するという「搬入プロジェクト」や、参加者をバッサバッサとぶった斬る「百人斬り」というパフォーマンスなどがある。前者は、webサイトのステートメントで「その物体は物質化された戯曲だともいえるし、運び手は演者なのだともいえるし、だからこれは演劇なのだと強弁することもできなくはない」と記されているように、学生時代に建築を専攻し、荷揚げの肉体労働の経験がある危口ならではの手法で「演劇」をとらえた作品だとも言える。では、後者はどうか? 次回作「我が父ジャコメッティ」が控えている危口に、次回作の話を発端に作品づくりについてうかがった。

──まず、危口さんは大学の演劇サークルから演劇の世界に入られたと聞きましたが、それまでは観たりすることもなかったんでしょうか?

危口統之(以下、危口)なかったですね。高校やそれ以前から演劇をされていた方とは全然気持ちの置きようが違うなと思って。大学のサークルでは、一応舞台裏も演者もひと通りやってみました。

──そのときに演劇のどの部分が面白いと思ったんですか?

危口:難しいですね。

──「観る」よりは「やる」を重点的にやっていたっていうことですか?

危口:まさにそうです。それまでは「観る」というと映画やテレビで、舞台自体には親しんでませんでした。そういう意味では、テレビ番組なら『ごっつええ感じ』とかドリフターズとかをよく観ていて。セットがあって個性的な人が出てきて、舞台の転換があったりなかったりして。今にして思えばコントっていう要素は大きいかもしれないですね。質問されて気づいたんですが、演劇について考えることと、演劇公演をやることについて考えるのはちょっと違いますね。今にして思えば、以前からそこばかり考えてきたような。それはぼくが演劇について無知なまま、「やる」ほうから始めたからっていう理由だったんですね、ありがとうございます、すごく整理できました(笑)。「いい作品をつくろう」ではなくて、「面白い活動をやろう」から始めているのでこうなったんだと思います。学生時代も、もちろん作品の中身も大事なんだろうけどみんでワイワイやることを楽しんでたんだと思います。大きなテントを建てたり、それから絵を描くのが好きだったので、立て看板やチラシを作るのも楽しかったし。当時は誰もMacなんて持っていない時代だったので、学校のコピー機で10円玉を大量に消費しながら拡大縮小を繰り返してカッターで切り抜いて。ロゴもトレーシングペーパーを使って書いて。

──危口さんは何年生まれですか? ちょうどMacがないくらいの時代というと。

危口:1975年です。Macが普及し始めたのが、僕が大学3年くらいかな? みんながPower MacやPerformaを買い始めたのが95~96年。その2~3年後にスケルトンのiMacが出たんでしたっけ。一気に広がりましたよね。建築学科の先輩がPower Macの6300あたりを買って、それまで手書きが当たり前だった設計製図をCADでやり始めてて。そういう環境もあって、導入は他の学部と比べると相対的に早かったと思います。まあ、ぼくがPCを手に入れたのはかなり後になってからなんですが。当時は意地になって手書きの図面を書いてました(笑)。

──当時はどんな演劇をやっていたんですか?

危口:サークルの雰囲気が80年代っぽい流れで来ていたのでわりとコテコテの稽古をしてて、戯曲はほとんどが先輩たちのオリジナルで。新劇的なものはなくて、第三舞台や夢の遊眠社のような感じだったと思います。基本的にファンタジックで、笑いのシーンを入れて繋いでいって、最後に感動させるというのが多かったですね、先輩のものは。でも、僕らが3~4年になって仕切る側になったときは、割と露骨にお客さんに楽しんでもらいたいというふうに方針転換して、要するにコントみたいなことばかりをやっていました。「演劇部はイケてない」がデフォルトだったので、面白いと言われるようになりたいねって同学年の仲間と話してたんです。

──根底にコメディがあるんですね、ちょっと納得しました。悪魔のしるしを観た時の「これ、笑っていいのかな?」という感覚は、わりとつきまとっていて。

危口:コメディっていうよりはコントですかね。ギャグとか。ぼくらの世代は突き詰めるとダウンタウンですよね。吾妻橋(ダンスクロッシング)のときに上條さんが感想で「失笑」に触れられてて、まさにそうだと思いました。失笑は大きいと思います。あとは苦し紛れ感とか、余裕がない感じの作品が多いですもんね。

──余裕がないっていうか、余裕をわざと作っていないようにも見えます。ギリギリのところでひねり出されてくるつまらないもの、でもそれがすごく面白くなるかもしれないし。

危口:それくらいしかすがるものがないんですけど(笑)。技術を見せる方向には行きたくなかったというのが大きいんじゃないでしょうかね。

──演技がいいとか人を泣かせる方向ではなくて。でも、笑わせるのもひとつには技術がありますよね。

危口:そうですね、それもあると思います。難しいんですけど、「鍛えたからこそわかる境地がある」という道を歩んでこられた方がいるのを最大限尊重しつつ、そうじゃないものもあったらいいなって。

──それにはジェネレーション的なものもあるのかな? いわゆる「脱力」と言われてるじゃないですか、90年代、00年代、10年代。あまりそういうふうにまとめて話さなくてもいいかもしれないけど、80年代にも小劇場の先人がいたわけで、一時は演劇やサブカルも合わせいろんなものが出てきていた。笑いにしても泣きにしてもいろいろなスタイルができていて、かといって新しいことをやらなきゃいけないわけでもなくて、でもやる人はいっぱいいて。観るほうには劇場で楽しませてもらいたいという気持ちもあるけど、観たことのないものを観たいという気持ちもある。

危口:当然、観たことのないものを観たいという気持はぼくにもあるんですが、それが「こんな演劇観たことない!」なのか、「こんな演出観たことない!」なのかではかなり違うし、そもそも奇抜さを狙っているわけでもないし、どうすればいいのかわかりません。話をしていてちょっと整理できてきたんですけど、昔から創作じゃなくて公演を打つことじたいが面白かったというのもそうだし、今は自分が助成金をいただいていることも含めてですが、「演劇を盛り上げよう、やっていこう」という現象というか状況というか、何かしらの目的、この場合は演劇ですけど、そこにいろんな人の気持ちが投入されてグルグル運動していることに興味があるのかなと思い始めました。

──なるほど。その現象というか状況、今おっしゃった言葉だと運動を扱ったのが『倒木図鑑』(http://www.akumanoshirushi.com/TOUBOKU.htm)だったような気がします。助成金ができて演劇界は劇的に変わったわけですよね?

危口:そうだと思います。生存戦略みたいなのが変わったんだと思います。昔は成功するにつれて劇場を大きくしていく「小劇場すごろく」があったそうですが、今はそういうのもあまり聞かないですし。でも、僕は工事現場にいたとき、もちろんそれなりにキツい仕事なんですけどそれ以上に楽しかったので、この世界でずっとバイトしててもいいかなと思ったりもしてました。

──面白かったっていうのは、どういう点がですか?

危口:運動はからきし駄目だったから体を使う仕事は敬遠してたんですが、いざやってみたら、成果がわかりやすくて面白かった。どんどん筋肉がついてきて、気づいたら胸板ができてきて。子供の頃はテストの点が上がって褒められたら嬉しい、みたいなこともあったんですけど、いい年になるとそういう評価のされ方ではなくなるし。とにかく肉体労働は成果がわかりやすかったです。あとは経験を積んで仕事ができるようになったら、早く終わらせて昼には帰れるようになったことも大きかったです。

──なるほど。肉体労働だったとしても、頭を使うとさらに効率も上がるから頭を使ってないわけじゃない。

危口:4~5人の作業なら、いかに効率のよい配置を考えたりとか、広い意味で「ゲーム脳」的な楽しみですよね。その次の次の段階くらいでアクシデントも楽しくなってきますよね。何かが起きたら、ほほぅそうきたか、と思うようになる。今、演劇の人間としてはそこまで余裕がないけど、工事現場のことを思い出すと、アクシデントを好む人の気持ちもよくわかります。

──少し演劇の話に戻ります。危口さんは稽古のことを「雑談」っておっしゃっていますが、何を話しているんですか? また話の内容に方法論はあるんですか? また演者はわりと決まったメンバーに見えるんですが。そこらへんはどう考えていますか。

危口:稽古についてはまだ決まったやり方がないので、考え中で。悪魔のしるしって、それほど公演していなくて。まだ10もやっていないんです。だから方法論もまだないし、人脈も広くないから演者も同じ人が多い。あと僕はビビりなので積極的にオーディションをするわけでもなく。結局、僕は人を深く見ないので、見た目とか声のでかさとかダンスが踊れるとか、そういうところしか見ない。そこで面白ければいいやって。僕に出会う前に稽古が済んでる人しか選ばない(笑)。森(翔太)さんとか武本(拓也)くんとか。武本くんは社交ダンス部にいたので、踊りがよくて。彼がコンテンポラリーダンスなら興味ないけど、社交ダンスっていうのがいい。

岡村滝尾(悪魔のしるし制作、以下岡村):稽古中のみんなの悲壮感は半端ないですよね。危口さんがどうしたいのかがわからないから、みんなは何をすればいいのかわからなくて準備もできないし。稽古も危口さんがどう思うのかと聞いてみんながしゃべってニヤニヤ聞いてる。みんな猜疑心が強くなって。

危口:本当に申し訳ない。そう見えますか。着実に稽古を積み上げて達成感を得つつある役者の顔があまり好きじゃなくて。

──持論を持ちたいとは思っているんですか?

危口:そういうものを持ってる星のもとに生まれたかったです。最初からちゃんと台本があって役者を鍛えて積み上げていって結晶のようなものができてステージで輝きを放つ。キラキラですよね。学生の頃にはそういう部分もあったし、今でもそういう作品を観るのは好きなんですけど、自分でやるのはちょっと違うのかなと。いい作品だなという判断基準は漠然と自分の中にあって、でもそこを目指そうと思って一行目を書くと、その時点で寒くてたまらなくなってデリートしちゃう。まぁ諦めが早い、根気がないんです。

──照れもあるんですかね。もちろん周りの状況も見つつ、その中でのポジションがあるというか。でも危口さんの生まれた星があって。

危口:もうブラックホール方向でお願いします。陰鬱な重力を放つ天体で。キラキラしてないの(笑)。

──観る側とやる側は全然考え方が違うんですね。でも、ひとつの作品にしてももちろん見方は人それぞれで、一人の中だって見たタイミングによって思うことは違ってくる。

危口:何かを楽しむというのは、鑑賞する目がだんだん複雑化していくことだと思います。最初は単純な評価軸もどんどんジャングルみたいになっていきますよね。同じ作品に相反する4~5個くらいの感想を持つことを鑑賞者のときは楽しんでもいいかなと思います。結局……結局という言葉も良くないですね。「真」とか「本当」という言葉も最近はアレルギーになってきて。特に演劇をやってる人間が、「何々の作品の真の意味」とか「何某こそ真の演出家」だとかいう言い方をするのはあまり気持ちよくない気がします。

──そうですね。作家からコンセプトはこうだと言われれば、「確かに」とわかるんだけど、それを知ったからどうだっていうのかと思うところもあります。

危口:そのラインが複数線あります。だから時間に余裕があればなるべく複数の線を説明したいですし、自分が自覚できていない線もきっとあるだろうし。単線的ではないですよね。

──その中で演劇、芝居をやってきて、手応えはどうですか?

危口:次はどうするんですかね。誰にも迷惑がかからないように小規模で馬鹿馬鹿しいことをやってバランスをとる必要があります。これは自分の中での話ですが。

──『わが父、ジャコメッティ』をお父様と一緒に作ろうと思ったのはいつ? お父様は絵描きなんですよね? 影響は受けられていますか?

危口:ネタとしてはけっこう前からあって。影響は、多分受けていると思うんですが、本人というよりは環境ですかね。単純に絵の具や鉛筆やらスケッチブックがあって、そういうことをして生きている人間がいるということに割とリアリティがあるというか。

──そんなお父様が登場するんですよね? その稽古はもう進められているんですか。

危口:はい。稽古というより雑談。一応前からやっていますが、台詞を覚える意欲とか脳のコンディションとか、僕が台本を用意できていないとかの諸々の要素を鑑みて、今のところあまり多くを与えないほうがいいだろうと思っています。その代わりリアクションをしたり、絵を描くことはできる。そういう条件、絵を描けたり、ジジイであることだったり、僕の実の父であるっていうことは30数年積み重ねてきたものだから、あとは微調整をやっていく感じです。

──前にツイッターで「父親に役者としての色気が出てきた」といったような発言があって笑ったんですが。舞台に立つと、いつもとは同じようにいかないという現象が起きてきているんでしょうか。

危口:そう、頭にきてる。小薮さん的に言うと素人がイキんなよって。

──楽器でもあればいいんですけどね。何かやることがあれば一生懸命やっているうちに時間が過ぎるというか。それが台詞なのかもしれないけど、自分自身から発露するとなるとそれだけで声が上ずっちゃう。

危口:仰る通りで。楽器があったほうがいいなと思って置くことにしました。「できていなさ」をパフォーマンスとして見せることができればなんとかもつだろうとは思うので。それはおそらくジャコメッティというネタもあるから意識しました。ジャコメッティがそんなに絵の才能がある人だとは僕は思ってないんですが、ただ自分が目で見たことをそのままキャンバスに映せないのかということに執着して、ひたすら描いては消すことを繰り返して。できていないんですよ。でも異様に気合いが入っているから、胸を打つものがある。

岡村:台本ができていない状況を「どうしたらいいんだろう」とずっと考えているんです。お父さんともうひとり女性の役者さん、危口さんがいて、今の段階では、出る人に対する指示と照明とか音響に対する指示が違っていいんじゃないかと思ってるんです。違ってもいいから台本はあってほしい。あまりにも準備ができないからみなさん困ってる。何を何個使うとか色をどうするとか準備ができない。

──確かに、即興を仕掛けて俳優のポテンシャルを引き出すやり方とは違うじゃないですか。それは、言葉を書くことによって、人が何かに縛られてしまうのが嫌なんですか?

危口:そうではないです。なんでしょう。僕も罪悪感、申し訳なさで満たされているけど書き方がわからなくて。設計図がないと建物は建たないのかという話なんですけど、なくても建つし、芝居は特に重力がないので屋根から作る方法もあるかもなんて。ああ、でも何をしゃべっても自己弁護になるのが最近嫌になってきて、いろんな言い方を考えるんですけど結局自己弁護以外のものではないので。そんな話はあまりよくないですよね?

──全然いいんですけど。逆にそれを勘ぐっちゃうんです、逆の意図があるのかと。

危口:僕も寿命が長かったら、まずは台本を書いたほうがいいと気づいて頑張ると思うんですけど。300歳くらいで。自分の頭の中にあることを作品化するときに、まずは見取り図を作るということが繋がっていない。まぁ結局何かしらの指示書は作るんですけどね。

──考えていることを言葉にすると陳腐になるとよく言うじゃないですか。ある程度共通化できるものになっちゃうから、周りのものが削られることはある。

危口:でもそれが嫌な人はものを作らなきゃいいと思うので、それは全然ないです。戯曲みたいな感じだとそういう傾向に僕も陥りがちなので、そうじゃない蛇口があるんだろうと思って考えているんですけど。

岡村:危口さんは演劇プレイのようなときのほうが楽しそう。演劇じゃなくて、演劇をプレイすること。周辺のことを考えているときのほうが楽しそう。

危口:うん、完全にそうです。

岡村:たぶん悪魔のしるしは最初からそう。創設メンバーで制作を担当していた金森香さんや田辺夕子さんも、演劇本体も含めて、演劇にまつわる何かをプレイする楽しみを共有してきたんだろうなと思う。でもいまや、演劇プレイの演劇の部分だけをやらなきゃいけない。もちろんプレイもやりつつではあるけど、演劇をメインにやらなくてはいけない状況になっててクラッシュしてる。悪魔のしるし流「演劇をプレイするゲームの仕方」を見つけられれば。それを周りの人は演劇だと思って観てくれるるでしょうけど。

危口:そうですよね。身内ネタをやると攻撃がくるのはいまだに納得してなくて。それ込みで前情報として知ってて観てこっそり楽しんでくれたらいいのに。観客だけは自律した内的世界と関係することを求めるというのはちょっと。

──確かに。でも一方で投げやりというか観客は置いてけぼりをくらう。それを良しとしているのか、観るほうもそういうものだと思って観るというか。

危口:身内ネタというのも固有名の問題でしかなくて。そこで広げても大枠としては問題ないんですけど、ただディテールに宿るのは神というより幽霊ですよね。その辺になると自分の肌感覚になってくると思うんですけど、好きなんですよ、単純に。だからユニバーサルな表現というのも、結局は使用する固有名の問題だと思います。今回のジャコメッティという単語もその最たるものですよね。内輪ウケであることは変わらなくて、その枠を広げたというか、輪郭線の角度を変えたということ。あと実の父が出るということで、それと近い芸術家ということで線の引き方が面白いなと思ったんです。この取材終わって家に帰ったらもうちょっと台本書くの頑張ります。

 

◎悪魔のしるし『我が父ジャコメッティ』

https://www.youtube.com/watch?v=MyIF73_QsEo&app=desktop

作・演出/危口統之
原案/「ジャコメッティ」「完本 ジャコメッティ手帖」矢内原伊作 / みすず書房
映像/荒木悠
音楽/阿部海太郎
出演/木口敬三、木口統之、大谷ひかる
企画 悪魔のしるし/KAAT神奈川芸術劇場
http://akumanoshirushi.com/GIACOMETTI/
横浜公演
2014年10月11~13日
KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ(神奈川県横浜市中区山下町281)

京都公演
2014年10月16~19日
京都芸術センター 講堂(京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2)

スイス公演
11月4、6、11日
Theater Chur(クール)、Teatro Soziale Bellinzona
(ベリンツォーナ)、Das Neue Theater am Bahnhof
(バーゼル)