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『これからの「正義」の話をしよう』
マイケル・サンデル

文=

updated 08.27.2010

文=川本ケン ハーバード大学史上最多の受講者数を記録し、大学が初の一般公開に踏み切ったという伝説的な授業を基にして書かれた本(すなわち講義録ではない。授業の模様は教育テレビで放送され、ここでも見ることができる: http://www.justiceharvard.org/)。 5月に邦訳が刊行され、以来日本でもベストセラーの一冊となっているという。たしかに、ハーバードの秀才たちを相手にしているとはいえ、学部生を対象にした内容なので決して難解ではない。だが当然のことながら、即効性のある回答が用意されているわけではない。 政治と正義と道徳について思想史ではなく問題のフレームごとに考えなおす本書は、一言で云うならば次のような“出発点”に辿り着くという内容を持つ。 すなわち、現在の政治は、「正義」=「なにが正しいことなのか」という道徳的価値判断を避けることで思考され運営されている。 だが我々が現実に直面する問題には、常に道徳的価値判断を迫る地平と、そうでない地平とが分かちがたい形で混在している。 そのため、そうした問題の核心を見きわめるためには、必然的に「正義」について考えなければならない。 しかも、個人的な自由を犯されることに敏感な我々は、政治が「正義」について語り始めることに強い嫌悪感を抱いているが、だからといってそのまま「正義」についての言説空間を放置しておくと、真空地帯と化したその場所が、原理主義者の独壇場となりかねない。 実際、そういう傾向がすでに存在している。だから我々は、「正義」について考え、(たとえ合意に到ることが不可能であったとしても)語り合うことを恐れてはならないのである、と。 邦訳には、「いまを生き延びるための哲学」という副題が付けられている。かなり多くの読者たちが、自己啓発本の一種として購入しているであろうことは想像に難くない。 いずれにせよ、ベストセラーであることが、すでに、「正義」という価値を希求する気分が、この国でもある程度広く共有されているということの証しでもあるだろう。 いったいどういった年齢層の人びとがこの本を読んでいるのかハッキリとはわからないが、「政治とあわせて正義を主張することは悪いことではない」というごく表層的な理解だけが、それこそ『超訳 ニーチェの言葉』的に好都合なアフォリズム集のひとつのようにして巷間に浸透しないことを願うばかりである。 正直なところ、今の日本のベストセラー読者が「正義」など語り始めたら危険すぎるという印象の方が強い。その前に、厳密に考え抜かなければならないし、「正義」について考える方法は、ダイエット本やレシピ本の用にして手に入るものではない。 『これからの「正義」の話をしよう』 マイケル・サンデル 鬼澤忍訳/早川書房 【amazon情報】 http://www.amazon.co.jp/dp/4152091312

初出

2010.8.27 07:00 | BOOKS