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『村崎百郎の本』

文=

updated 01.18.2011

「醜悪な魂」の破壊力

文=川本ケン

年の始めに刊行されてきた『社会派くんがゆく!』シリーズを読むたびに、ほんの数ヶ月前に興奮したり憤ったりしたばかりの事件であってもいかに忘却の彼方へ消えてしまうものなのか、というつまらない感慨を新たにしつつ、もはや村崎百郎とは「真の良識派」なのではないかという思いも募らせていたものだった。それは「柔らかくなった」というようなことではなく、いつのまにか「真の鬼畜」であることが「真の良識派」であることと重なる時代に足を踏み入れていたということに他ならない。そして昨年末にひっそりと刊行された本書は、タイトルどおり昨夏非業の死を遂げた「鬼畜系ライター」にして稀代の知識人・村崎百郎氏の遺したアーリー・ワークスのいくつかと併せて、彼と共に仕事をしてきた人びとの言葉をコンパイルした、愛に充ちた書物である。

ページを繰るにつれ90年代後半の空気が生々しく鼻先に垂れ込め、そういえば小学時代からの友人は当時、小室ファミリーやスキャットマン・ジョン、ME&MYのCDを爆音で鳴らしながらチューンナップしたスポーツカーを駆って印刷工場に通勤していた、ということを思い出した。工場には軽度知能障害を持つ労働者がいて、「インクを一対三の割合で混ぜる」といった作業を理解できずいつでも口汚く罵られているといったエピソードを話す彼の愛読書のひとつが村崎百郎による『鬼畜のススメ』だった。彼のような労働に従事していた人間と「サブカルチャー」との接点が存在していたという事実そのものが、今となっては信じがたい状況ではないか。

だからもちろん、『村崎百郎の本』を手にした者にできるのは90年代を懐かしむことではなく、かつて村崎氏が「全国家の良識ある市民諸君」へ向けて発した、「世の中にはどんな善意も屁とも思わない」「醜悪な魂がある」という「最低の警告」が持ち得た破壊力をいかにして見いだし、どこへ向けてどのように行使するのかを考える、ということに他ならない。それはいつの時代でも、「かつてよりもさらに困難を極める」と評される類の行為ではあるが、その言葉自体が我々の思考を阻むべく発せられていることには注意を払わなければならない。ただ、巻末に収められている根本敬氏のインタヴューは、読んでいてつい涙腺が緩んでしまう。

『村崎百郎の本』/アスペクト編/アスペクト

□amazon情報
http://www.amazon.co.jp/dp/4757218494

初出

2011.01.18 13:00 | BOOKS