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ジャン=ピエール・ジュネ監督
『ミックマック』

文=

updated 09.01.2010

完璧に機能すると、どうなるのか?

文=川本ケン

幼少期に地雷によって父親を失い、自らも流れ弾を額に受けた主人公(ダニー・ブーン)が、それを契機に職を失い、浮浪者の仲間入りをするのだが、ある日たまたま、地雷と弾丸を製造した兵器メーカーの本社ビルを見つけ、小さなものから大きなものまでいたずらの波状攻撃を仕掛けることで復讐を果たす(だが人は殺さない)というジュネらしいおとぎ話。

この映画が面白いのは、地雷からいたずらのための仕掛けにいたるまでありとあらゆる装置が完璧に機能する中、主人公の額に向かって飛んできて、脳に到達する直前のところで止まったままの弾丸だけが機能不全の状態にあることで、その機能不全のためにこの物語全体(という装置)が起動するという点にある。
そのほかの装置の機能ぶりは徹底していて、浮浪者たちの暮らす地底のユートピアめいた住処の隅々については言うまでもなく、ひとりひとりの浮浪者たちまでもが、各々料理、計算、発明、言語、軟体などなどの特技というかたちで過剰な機能を持ち、そんな彼らの織りなす共同体もまた仮想家族としての機能に疑念が差し挟まれることはない。
過剰な機能を備えた人間たちは、まっとうな社会では生きる場所をもたないが故に、そのまっとうな社会の側こそが機能不全なのである。という反転が行われているという図式になる。
だから、逆に主人公は機能不全の弾丸によって社会内では機能不全者となり、完璧に機能する浮浪者の側に墜ちてくるのだ。

かくして、ひたすら完璧な機能ぶりそのものが笑いを生成するという世界が現出する。これは、例えばタチの『トラフィック』が持っていた、完璧な機能世界に彷徨い込んだ一人の男が機能不全を引き起こすことで笑いを生み出すという構造と対照的であるというだけでなく、機能に対してさらなる機能によって戦いを挑む、すなわち、兵器のリアリズムにおとぎ話の無邪気さだけで対峙しようという極めて乱暴な意志の顕れでもある。

もちろん、兵器メーカーの経営者にイヤがらせを繰り返したところで産業そのものが消滅することはない。しかしこの作品が、もし人類全体が完璧に機能したならば……、という過激な幻視力に支えられた映画であることを見落としてはいけない。
それこそが真の無邪気さであり、それを子供じみたいたずらと処理することしかできない社会の側こそが機能不全なのだと、ただ事ではない機能っぷりを見せるこの映画は、全身で証明しようとしている。

『ミックマック』/配給:角川映画
9/4(土)恵比寿ガーデンシネマにて先行公開
9/18(土)より全国ロードショー

公開情報

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初出

2010.9.01 08:00 | FILMS