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普通の殺戮者

ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』

監督ジョシュア・オッペンハイマー インタヴュー

インタヴュー・文=

updated 04.11.2014

ひょろりと痩せたひとりの老人が、殺風景な建物の屋上で話している。白髪の縮れ毛、緑のアロハ・シャツに白いパンツという姿は、年老いたチンピラという風情だろうか。

大勢の人間が“不自然な死”を遂げたこの場所は、幽霊でいっぱいだという。死をもたらしたのは、老人その人である。撲殺された人々からは大量の血液が流れ出て溜まり、ニオイも酷く後片付けに苦労した。そこで針金を活用し、血液があまり流れず、力も節約できる殺し方を編み出した。老人は、それを実演してみせる。

1965年、軍事政権の成立したインドネシアでは、「共産主義勢力」とされた人々が、100万人規模で虐殺されたのだという。そして殺戮者たちは、国家を「危機」から救うために尽力した「英雄」と称えられ、そのまま政治の中枢や、地域コミュニティの要人として生きている。冒頭の老人、アンワル・コンゴもまたそのひとりで、千人は殺しているらしい。

映画には、アンワルと共に「共産勢力を駆逐」しまくった男たちが次々現れ、その輝かしい青春時代を楽しく回顧する。いわく、「この通りの中国人を片っ端から殺したなあ」、「当時付き合っていた彼女の親父とバッタリ行き会ったので殺したんだよね。彼女は華僑系だったからさ」(そう、華僑系の人々もまた「共産主義勢力」のレッテルを貼られ、虐殺された)などなど。

本作の監督ジョシュア・オッペンハイマーは、彼らにひとつの提案をする。「あなたがたのしたことを映画にしてみませんか?」アメリカ映画を愛するアンワルたちは、盛り上がる。地元での権力を最大限に活かしてキャスティングを行い、様々な扮装に身を包み、大いに熱演する。面白いのは、彼らが加害者の役をカッコ良く演じてみせたがるだけではなく、自ら望んで、被害者の役にまでのめり込むようにしてなりきって見せることで、アンワルの弟分に至っては、女役から殺人者に至るまで、驚くべき説得力の演技を見せる。観客はそんな彼らの姿を見て、哄笑すら誘われるだろう。

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だがしかし、この映画が不穏なのは、「殺人サイコパス」たちの戦慄すべき告白が生々しく、あるいはおもしろおかしく収められているからではない。なぜこの映画が、我々に対して圧倒的な力を持つのかといえば、真実はその真逆にある。それは、スクリーンに登場するほとんどの人間が「サイコパス」ではなく、我々と寸分違わぬ人間、つまりは「普通の人々」にほかならないことが、やがて作中証明されていくからなのだ。

アンワルは、映画の冒頭から幽霊を語り、悪夢を語る。そして「再現映画」の撮影が進んだ終盤に至ると、「被害者の気持ちがわかる」という言葉すらを漏らし始める。要するに、この映画はアンワルの「更正プログラム」として機能してしまう。そして「更正」できる人間は、定義上「サイコパス」ではない。

それどころか、彼らもまた、あるひとつの「極限状況」の中で人を殺し、その殺しが場合によって「正義」にも「悪」にもなったという意味では、すべての戦争からの「帰還兵」たちと同じ境遇にあるといえるだろう。つまりは、いくつかの条件が整い「極限状況」さえ出現すれば、彼らと同じ行為に手を染めないと言い切れる者はどこにもいない。

アンワル・コンゴという人物は、オッペンハイマーにとって41番目の殺人者だったという。彼を中心に据えることになったのは、当初からその中に「弱さ」、つまり「更正プログラム」が機能してしまいそうな「綻び」のようなものを感じ取ったからなのだろうか? その綻びに狙いを定めて映画を動かしていったということなのだろうか?

「最初から予期していたわけではありません。そもそも私自身は、アンワルが自責の念を持つようになるかもしれないという考え方自体に抵抗がありました。そんなことは、虐殺の被害者や人権団体の人たちの信頼を裏切ることだと感じたんです。虐殺の罪を全く問われることなく生き続けている当事者たちと、殺戮を輝かしい偉業と称える恐怖体制を人々の目に晒すのが彼らの願いでしたから、たったひとりの男の贖罪に焦点を合わせていくのは、それに応えることではないと考えていました。

 でも、あなたのおっしゃるとおりです。アンワルは、たしかにほかの40人の虐殺者たちと少し違いました。幽霊のことを話していましたし、自慢話の中では彼の感じてきた痛みのことにも触れていましたから。痛みを忘れるために酒を飲み、踊りに出かけていたと語っているでしょう? 『オレは踊りがうまいんだ』なんて言って、その場で踊ってみせる。その踊りは、罪に問われない殺人者たちの姿を示す、極めて強烈でシュールなメタファーでした。それまでに撮影してきた、殺戮自慢をする虐殺者たちの中でも最もショッキングな姿です。内なる苦痛を糊塗する努力でもあったわけですから。

 その時私は思いました。『いや、ちょっと待てよ。二年かけて撮影してきた殺戮自慢は、邪悪なものを称える行為じゃはなかったんじゃないか。むしろ事態はもっと単純で、彼らは自分のやったことが過ちであることを実は理解していて、その苦痛から逃れるため必死で“勝者の歴史”にしがみついているんじゃないか』と。

 その点を探求するため、私は五年間彼と撮影を続けました。でもそうしながらも、彼がある種の良心の呵責状態に辿り着くことには、ずっと抵抗を感じ続けていたんです。そうやって救済を与えてやるのは、あまりに安易じゃないかと思っていたんです。だから映画のラストで、とうとう彼が『被害者たちの気持ちがわかる』と漏らした時にも、私は『そんことはない』と言い続けたのです」

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——苦痛を抱えていることを告白したのは、アンワルがはじめてだったのでしょうか?

「そうですね。自分の痛みについて話す勇気を持っていたのはーーというか、アンワルという人間を知っている者からすれば、あれは正直なところ勇気ではないと思いますけどーー痛みを隠し続けることができなくなった虐殺者は、彼が最初でした。

 『アクト・オブ・キリング』というのは、自分の話している言葉を信じていない人間たちの映画なんです。その意味ではとても映画的な映画だと思います。映画というのは、本来言葉には向かない表現媒体ですからね。無数のドキュメンタリーが言葉に依拠して作られていますが、この作品は、必死で同じ言葉を繰り返しながらも、それをひと言も自分で信じていないという人間についての映画なんです」

——それゆえに、あの言語化できないシュールな映像を冒頭をはじめ随所に挿し込み、観客の側が彼らの言葉から距離を置けるようにされたのでしょうか。例えば、冒頭で使われたあと繰り返し登場する、水際にある巨大な魚と、その口から現れるダンサーたちの映像のような。

 「表面上はそういうことになるんでしょうね。私にとって重要だったのは、自分の行為と向き合い、生き延びるためにアンワルが依拠してきたファンタジーや物語や語りを、目に見える形にするということでした。しばしばアンワルは、フィクションのシナリオを持ち出してきましたが、それも同じく、自分でも信じていなかったんです。

 例えば滝の前で『ボーン・フリー』を歌うシーンがありますよね。あの撮影が行われたのは、映画の中の時間軸どおりだったのですが、その前に撮影されたシーンで犠牲者の役を演じたアンワルは、自分自身が汚染されたような、犠牲者たちの霊に感染してしまったような気分になったのでしょう。それで、自分自身の贖罪のシーンを計画したわけです。

 出来上がったものを撮影直後に見たアンワルは、『この滝はとても深い感情を表している』と言いました。『できに満足しているよ』と。ここでもまた、彼は自分の言葉がウソであることを知っていました。そもそもこのシーン自体がフィクションなのですから。文字通り“偽りのエンディング”だったわけです。心の平穏を求めてあのシーンを撮ったわけですが、慰めは得られなかった。彼自身がそれをウソだと知っているのですから。すぐに、『今度は、自分が犠牲者役をやったシーンをまた見せてくれ』と言い出しました。

 たしかに、自分の言葉を信じていない人間と、ああいう映像的なシーンは、共にきわめて映画的なものです。でも、その意味は少しだけ違います。

 映画というのは、ポーズやサブテキスト、感情、疑いといったものを表現するための媒体だと思っています。アクションや言葉にはあまり向いていません。アクションとか言葉は映画を組み立てるためのブロックのようなものですが、映画自身はそれらのブロックを映画的に忌避しようとする、というような感じでしょうか」

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——この映画ははからずもアンワルにとって、「更正プログラム」の役を果たしたわけですが、本人はこの映画を見てどのような反応をしたのでしょうか。

 「映画のラストに至ってようやく、自分のしたことが過ちであったと認識していることを明らかにするわけです。たとえそれが身体感覚に過ぎなかったとしても。身体で感じるのは、頭で理解するのと全く異なることではありますが。

 でも、彼がそれを表に出すことができるようになったという事実は、インドネシアという国に極めて大きな衝撃を与えました。虐殺を生き延びた人たちや人権団体の人たちが目指していた目標に到達するために、この映画は大きな役割を果たしたんです。

 1965年の大虐殺がほんとうに“英雄的な勝利”であったのなら、アンワルのような人々は自分たちの達成した輝かしい成果への見返りを享受しながら楽隠居していて当然なのに、アンワルだけでなくすべての殺人者たちが、自分たちの過去の所業によってボロボロになってしまっている。この映画はそのことを示してしまったわけですからね。

 アンワルは、少なくとも無意識下では破壊的な打撃を受けているし、アディ(ズルガリ=65年当時、アンワルらと共に行動した殺人者のひとり)にしても、彼が登場する最後のシーンで、娘がフェイシャル・マッサージを受けている横で、鏡に映った自分の空虚な顔を見つめますよね。人間のかたちをした、虚ろな抜け殻と化している。そのことが、ハッキリ伝わってきます。

 犠牲者たちによる激しい告発によってではなく、殺戮者たちの内側から真実が暴露されてしまったわけです。裁きは逃れたが、自らの行為から逃げ切ることはできなかったんですね。そのことが、この映画に圧倒的な力を与えることになりました。虐殺は英雄的行為であったという見せかけを、一挙に剥ぎ取り、今やインドネシアでの過去の語られ方は、完全に変わってしまいました」

——この映画を見た時の、アンワル自身の反応はどのようなものだったのでしょうか?

 「とても心を揺さぶられた様子で長い間黙り込み、涙を流し、衝撃を受けていました。だいぶ長い間を置いてから、『ジョシュア、この映画を見れば、オレのような人間として生きるのがどんなかんじかわかるよ』と言いました。それからまた長い沈黙を挟んで、『あの出来事の持つ意味を語ることができてほっとしたよ。オレがなにをしたのか、ということだけじゃなくてね』と話しました。

 なぜアンワルがこの映画を作ったのかといえば、自分の栄光を称えるためではなく、ほんとうに話を聞いてもらうという体験が、はじめてできたからではないでしょうか。政府は過去の所業を話すようアンワルたちに促したわけですが、彼ははじめてそれがなにを意味したのかということについて耳を傾けてもらえたんです。

 インドネシア政府は、殺戮者たちに虐殺自慢をするよう奨励してきました。彼らが故郷に戻り、残虐行為を自慢すればするほど、国家を代表する恐怖の使者となれるわけです。でもその行為の意味についてまで話し始めるとは、誰も考えていなかった」

——この映画は、アンワルの社会的な立場に影響を及ぼしたのでしょうか?

「この映画は、インドネシアという国そのものの歴史との向き合い方を変えてしまいました。そういう意味では、彼の社会的生活にも本質的な変化をもたらしたといえます。1965年の処刑人であったというのはかつて誇るべきことだったのに、今では違います。彼らが殺戮自慢をすることはもうありません。

 今やインドネシアの国民やマスメディアは、虐殺を虐殺としておおっぴらに語るようになりました。結果として政府は、1965年に起こったことは過ちであり、“和解プロセス”が必要であることを公式に認めました。でも、政府がこの映画を支持しているということではありません。そのプロセスをこの作品に手伝ってもらう必要はないというわけです。

 でも、素晴らしい変化です。180度の転回をしたのですから。とはいえ、〈パンチャシラ青年団〉はまだ同じ力を持っていますし、アンワルが裁きの場に連れて行かれ、何らかの刑罰を科されることは決してないでしょう。

 アンワルは、もうふんぞりかえって町を歩いたり殺戮自慢をしたりすることができなくなりました。もうギャングからは引退していますし。アンワルは、まあまあOKなやつなんです(笑)。ああいうことをした人間としては、ということですが。

 アンワルとは今も電話やスカイプなどで連絡を取り合っています。四日前にも話したばかりです。たぶん、この先もずっと連絡は取り合うんでしょうね。私たちは一緒に、苦痛に充ちた長く個人的な旅をしたわけで、その意味については一生考えてゆくことになるのだと思います」

 

この映画には121分の劇場公開版のほか、「映画祭ヴァージョン」と呼ばれる159分の長尺版がある。山形国際ドキュメンタリー映画祭などの映画祭で賞を獲得してきたこのヴァージョンは、「アンワルの気持ちの変化をより明確に伝える」、「物語がより丁寧にゆったりとしたリズムで展開され、さらに広い射程を獲得している。登場人物たちの気持ちの変化を理解させ、映画の世界により深く引きずり込む」が故に、「私にとってとても大切なものです」と監督は語る。もっとも大きな相違点は、終盤にある。映画祭ヴァージョンでは、アンワルの精神的道行きはさらに複雑なものになっているのだという。後悔の念が育つのに呼応して、彼の中で怒りとサディズムが蘇り、復讐の念が強まり、それが犠牲者たちに向けられるのだそうだ。

ちなみに、「製作総指揮」にはヴェルナー・ヘルツォークの名前がクレジットされている。ヘルツォークを紹介された時、最後の10〜15分間だけをDVDに焼いて渡したらしい。そうしなければ絶対見てくれないと思ったのだそうだ。それが功を奏して、すぐに「全部見せてくれ」という連絡が来た。そこからもだいぶ時間がかかったが、最終的には「もし短くしなければいけないのなら、新鮮な目で編集を手伝ってあげるよ。ただ、この映画の核にある猛々しく悪夢的なものを失ってはいけない」と助力を申し出られたのだという。

いつなにをしたのかわからないが、取りかえしのつかないとんでもないことをしでかしてしまった。たとえば殺人のような……。という悪夢を、幼年期からたびたび見てきた。この映画を見ていると、その感覚がフラッシュ・バックのように蘇った。その恐怖に根拠が与えられたら、どんな地獄が出現するのか、考えたくもない。

Oppenheimer

ジョシュア・オッペンハイマー

1974年、アメリカ(テキサス州)生まれ。ハーバード大学、ロンドン芸術大学にて学ぶ。イギリス芸術・人権研究評議会内「ジェノサイド・アンド・ジャンル・プロジェクト」上級研究員。

公開情報

4月12日(土)よりシアター・イメージフォーラム他全国順次公開
2013年 / デンマーク・ノルウェー・イギリス合作 / インドネシア語 / 121分
原題:THE ACT OF KILLING / カラー / 5.1ch / ビスタ / DCP
配給:トランスフォーマー / 宣伝協力:ムヴィオラ
(c) Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012