bokueli_main11-PC-detail

トーマス・アルフレッドソン監督
『ぼくのエリ 200歳の少女』

文=

updated 08.22.2010

文=川本ケン この映画のなにがそこまで魅力なのかと考える。 ヴァンパイアものとしては、ルールに忠実な物語が語られているにすぎない。ひとつだけ過剰な点があるとすれば、ヴァンパイアとそのしもべとしての人間との間に“愛”という要素が導入されていることだろうか。 もちろん、ヴァンパイアとはそもそもエロティックな存在なのだが、ここではヴァンパイアと人間を共に思春期前という(身体)年齢に閉じこめ、その上でヴァンパイアの性別を曖昧にすることによって、二重に性的抑圧の構造が設けられている。その抑圧の徹底によって、エロスは否応なく“愛”へと結晶させられる。 少年は、狭い校舎の中で陰湿にいじめられ、母子家庭の自宅に戻っても孤独な時間が続く。外はいつでも薄明に包まれ、雪に埋め尽くされた視界が開けることはない。惚けた顔つきでのろのろと水平移動を続けるだけの閉ざされた毎日を送っている。 そこへ、思いがけずひょいと縦方向からヴァンパイアが降り立つのだが、ヴァンパイアもまた、絶え間ない飢餓と発覚の恐怖に閉塞された時間を生きている。こうした抑圧の構造は、視覚的にも明確に示される。被写界深度は浅く、いつでも画面の大きな部分がぼやけている。クローズアップが多用され、なかなか登場人物の位置関係がハッキリしない。その上で、なにか決定的な出来事が発生する場合、事態の全容はいつでも若干の遅れと共に了解されるようになっている。 こうして我々は少年の視線にシンクロし、彼の愛を共有する。それがこの映画の通俗性の強度を保証し、我々は愛の行方を固唾を呑んで見守ることになるのである。 〜8/27(金)銀座テアトルシネマにて! 8/28(土)より続映決定! ヒューマントラストシネマ渋谷にて公開! そのほか全国順次公開中!

公開情報

(C)EFTI MMVIII (C)EFTI_Hoyte van Hoytema



初出

2010.08.22 09:00 | FILMS