Photography By Myles Aronowitz

ニコラス・ジェレッキー監督
『キング・オブ・マンハッタン 危険な賭け』

執拗にイヤがらせをする

文=

updated 03.22.2013

だいぶ前に見たエンロン事件を巡るドキュメンタリーによれば、株価操作のためのハッタリをエスカレートさせていた経営陣の間では極端なエクストリーム系スポーツが流行り、経営においても私生活においても危険そのものがドラッグのようにエンロンという組織に麻痺と恍惚を供給し、さらなるエスカレーションへと駆り立てていたらしい。

リスク=危険を背負うことで富を獲得しようとする博打が投資という行動であるのだから、巨大な富のためにはさらに大きな危険を求めることになるのはあたりまえの理屈で、常軌を逸した連中が資本主義を歪めることで私腹を肥やしていたわけではなく、彼らの行動こそが資本主義そのものであることもまた、誰にでも理解できる事実だろう。背負うべき危険と獲得すべき富の間にモラルを挟み込み、最適な中間地点を見いださなければならないということを“公正さ”と呼び、その価値を誰もが共有できるというのは妄想でなければ淡い希望に過ぎない。

この映画の主人公(=リチャード・ギア)は、2008年のリーマン・ショックすらも生き延びてきた豪腕トレーダーである。もちろん上述のようなことはわかった上で行動してきた。そこには良いも悪いもない。あらゆる危険を引き受け、それをすべて富へと変換する。それが出来ている限り彼の生は続き、富も拡大し続ける。その事実を否定するには、この世界のシステムそのものを改変しなければいけないわけだが、それは二次元の世界の住人が三次元の世界を想像できないのと同様の理由から、ほぼ不可能に近い。

 

そこでこの映画は、次から次へと主人公の身の上に災難が降りかからせる。もちろん、もはや彼にとって“危ない橋”は富そのものと、すなわち彼自身の生そのものと一体化しているので、ごく当たり前のように立ち現れてくる。そして危険のエキスパートたる彼の側もまた、ほとんど的確にひとつひとつそれを処理してゆく。観客である我々は、その手際の良さに胸のすく思いすら覚えるだろう。

 

そこに、映画の面白さがある。この世界のありようは重々承知しているし、その世界を完全に味方に付けて生きる強かな男に対しても常人以上の敬意を抱いている。それでもその男(=この世界のありかた)を許せず、どうにかして復讐を遂げたいと執拗にその機会を狙っているといった具合なのだ。要するに、殺せないならせめてイヤがらせしてやろうといういじましい根性なわけだが、それはとりもなおさず我々が決して抜け出ることのできないいじましさでもある。

だから我々はこの映画を、アンモラルな人間からモラルを学び取るピカレスク・ロマンとして受容しようとするし、作り手たちもまたそれにある程度以上成功している。むしろ、彼らが作ろうとしたものは、ほぼ完全に実現されていると言えるだろう。その据わりの良さがこの映画の質の証明でもあり、我々自身の限界点でもある。

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『キング・オブ・マンハッタン 危険な賭け』
3月23日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
© 2012 ARBITRAGE LLC.
公式サイト http://gacchi.jp/movies/kom/

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初出

2013.03.22 14:00 | FILMS