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仄暗い微笑み

ジェローム・サル『ケープタウン』

文=

updated 08.31.2014

主人公はズールー族出身の刑事アリ・ソケーラ(フォレスト・ウィテカー)で、強行犯撲滅課の彼が部下のブライアン・エプキン(オーランド・ブルーム)らと共に惨殺された少女の事件を追ううち、新種ドラッグの存在を通してアパルトヘイト撤廃以降の暗黒面に深く触れてゆくという、南アフリカの港町ケープタウンを舞台にした犯罪映画である。

アリは、幼年時代に受けた拭いがたい傷を抱えている。白人警官によってけしかけられる犬から逃げ回るという夢の形で示され、アパルトヘイトの傷痕と呼んでよいものであることはわかるが、具体的にそれが何を意味しているのか、観客が理解するのはずっと後のことになる。

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部下のひとりであるダン・フレッチャー(コンラッド・ケンプ)の妻が、「黒人を殴り殺していた連中が、“真実和解委員会”で罪を告白したらそれだけで無罪放免になるのはおかしい」と白人リベラリストらしく息巻くときにも、アリはただ静かに微笑む。だが、そのウィテカーらしいひきつった微笑みは、アリという人間がどこまでも暗い深淵を抱えているという事実をありありと伝える。マンデラによる“赦しの政治”が、あの時点では報復の連鎖という最悪の事態を避ける唯一の方法であったことを理性で理解しているものの、とうてい彼の抱えている傷を癒すものではなかったのだ。

ウィテカーといえば、『大統領の執事の涙』(13)で34年の間アメリカ大統領に仕えた黒人執事としての記憶も新しい。息子を含む多くの黒人たちが公民権運動に身を投じ激しく活動する中でもただひとり、白人のルールに抗うことなくその中で白人に認められることこそが、黒人の地位を向上させることだと頑固に信じ続ける古いタイプの主人公が、最終的にはその信念の枠組みの外側に出て行くというお話だった。

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ある意味、『ケープタウン』のアリもまたその系譜のひとりではあるわけだが、抱えている闇は数段濃く、枠組みの外側の世界は比較にならないくらい苛烈である。誰よりも強烈な憎しみを抱えているからこそ、“赦しの政治”がなければ大殺戮が発生したであろうこと実感として理解している。だから彼は、それに異を唱えない。白人の“良識派”などが知ったら、震え上がって二度と近寄らないであろうほどのどす黒い闇をその仄暗い微笑みの中に封印しているのである。事件の深層は、正に彼の抱えるその闇に触れるかたちで展開してゆく。それがアリにとって、最終的にどういう帰着点を持つのかということは、ある時点から想像がつくだろう。観客は、そこにだけは辿り着いて欲しくないと願い始めるに違いない。

という具合に映画の表層と骨格部分をなで回してゆくと、どこまでも生真面目な社会派犯罪映画の印象を与えてしまうかも知れない。たしかに生真面目ではある。だが、重苦しいアリと軽薄なブライアンというキャラクターの組み合わせはジャンルのお約束を無視するものではないし、そもそも人種や国籍が入り交じりありとあらゆる犯罪の行われる街ケープタウンが舞台だからなのかどうか、犯罪捜査にはアメリカ映画などでみられるような法的段取りが希薄で、警官も犯罪者もひたすらムチャしまくるのが楽しい。刑事たちは危険な場所になぜかいつも単身乗り込んでいくし、だれがどこでどんな風に暴力を爆発させるのか、命を奪われるのかまったくわからないのだ。

そういうわけで、あくまで娯楽映画の枠組みの中に留まる映画であることは記しておきたい。また、フランス人が監督しているが、プロダクション・クオリティは立派なもので、アメリカ映画もどきを見たという気分には決してならないことも付け加えておく。

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公開情報

(C)2013 ESKWAD-PATHÉ PRODUCTION-LOBSTER TREE-M6FILMS
8月30日(土)より新宿バルト9他にてロードショー公開中
配給: クロックワークス
公式HP: capetown-movie.com