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かなりの到達度で肉迫

ヘンリー=アレックス・ルビン『ディス/コネクト』

文=

updated 05.20.2014

現代社会を生きる人間は、インターネットに接続しすぎているから孤独なのではない。そもそも自律した感覚器官と意識を持った動物である人間が、孤独でなかったことはないのだ。人を隔てる「断絶」は、時代や場所に関係なく人間が本質的に抱えてきたものだった。
それがなぜ、現代を象徴する特徴的な主題のひとつとなりうるのか。周知のとおり、まずは社会が流動化し個人同士のコミュニケーション機会が近代以前とは比較にならない規模に拡大しこと、同時に、手紙に始まり電話を経て電子メールやチャットへと急速に発達してきた通信手段の存在。このふたつによって、あたかも断絶など存在しないかのような、あるいは人間が努力さえすれば埋めることができるものであるかのような幻想を受け入れやすい生活環境が完成してきたということにすぎない。
そもそも、複数の人間が一つの空間を共有しているにもかかわらず彼らの間に会話はなく、全員がそれぞれの手元にあるスマートフォンやタブレットに視線と意識を寄せているという画づらは、「インターネットによって深化される人間の断絶」という決まり文句を安易に呼び寄せるが、考えてみれば、たとえば30年前の子どもたちなら視線の先にあるのが電子機器ではなくマンガ本だったり組み立て中のプラモデルだったりしたというだけで、全体の構図に大きな変化はない。

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だが、意識の拡張装置でもある現代の通信手段が、内面世界と外面世界との隔たりを一挙に飛び越えることを可能にしたということはある。悪意の発酵も伝播も瞬時に行われ、不信も憎悪もあっという間に沸点を迎える。もちろん犯罪や暴力もまた、あたかも行使されたことなどなかったかのような滑らかさで我々の身体を抉ったり掠めたりしてゆく。要するに、手っ取り早くわかりやすい物語展開をおこなうことのできるテーマなのだ。
この映画の企画が、そんなことを承知の上でいけしゃあしゃあとこれを題材に選んだのだとしたら、人々の心を揺り動かすのが目的である以上、なかなかに強かな出発点を持っていることになる。見終わった後に、上述のような議論を始めさせさえすれば勝ちなのだから。
物語は、ネットを結節点として個々人の思惑がすれ違い、思い込みが加速し、感情が増幅されながら、カタルシスに向かって押し寄せてゆく有様を見せてゆく。
学校内に居場所を持たないサブカル系で内向的な高校生は、ネット上に唯一の理解者を見つけたと思い、それが命に関わる自体を招くとも知らず、自らの最も脆弱な部分を晒してゆく。その高校生に対し、ネットを介して悪意を浴びせる同級生は、父子家庭の中で孤独に生きている。そしてネット犯罪を専門分野とする元警察官の探偵である彼の父親は、あるネット犯罪の調査を引きうけるが、依頼者夫妻は、幼い子どもを失った痛みから恢復できず冷え切った関係を生きている。そもそも彼らが被害者となったのは、妻が唯一の逃げ場所として毎日接続していた、子どもを失った親たちがお互いを慰め合うチャットルームを介してのことだった。とはいえ、夫もまたネット・カジノに逃避する毎日を送っていたために、その点で妻を責めることはできない。一方、ひとりの女性リポーターは、未成年者たちを使ったポルノ・チャットルームの画面に登場する少年に、善意を装って近づいてゆく。取材は成功し、自らの野心は満足させられたものの、結局のところ少年を“救い出す”ことはできない。そもそも少年には救い出されたいという意志もない。
このように、ネットを介して幾重かに絡み合った複数の物語を同時に展開し、あるひとつのクライマックスに到達させるという本作は、まずもって脚本家の映画であり、たとえばポール・ハギスの『クラッシュ』をただちに想起させる種類の作品である。「脚本家の映画」というのは、要するに言葉と構成に負うところが大きいということであり、とにかくあらすじと言葉にしやすい「感動」を求める種類の観客にとってはものすごく「親切な映画」ということになるだろうが、ヘタを打てばただひたすら通俗的でダサい物語になりかねないし、ひっくり返せば「これなら小説でいいじゃん」ということになりかねない。

disconnect_sub03 では、この映画はその点を超えられたのかと問われれば、健闘したと答えるほかない。先ず第一に、個々の物語を担う登場人物の中に魅力的な顔を見ることができる。孤独な中年にもヘンタイ男にも見えるミカエル・ニクヴィストのようなヴェテランをはじめ、ポルノ・サイトで半裸の姿を見せる少年役のマックス・シエリオット、陰気なサブカル高校生のジョナ・ボボといった若手たちが、見事に役柄と融合して輝いているのである(そういえば、最後まで気づかなかったのだが、マーク・ジェイコブスがある役柄で登場しており、それ以外の人間に見えなかったりもする)。
また、カメラの存在を俳優たちの前からできる限り隠すことで生々しさを醸成したという撮影スタイルも、かなりの到達度で目的に肉迫していると言えるだろう。“ドキュメンタリー風”のイヤらしさをあまり感じさせることなく、スリリングな空気感を生み出すことに成功しているのだ。
そういうわけで、テーマは誰にとっても身近に感じられるものが巧みに選ばれ、脚本もキャスティングも撮影も成功しているとなれば、万人に受け入れられる準備は整ったということになる。見終えた観客たちは、ネットとコミュニケーションを巡る議論をしてくれるだろう。もちろん、それ故に小粒な作品でもある。しかしながら、ヘンリー=アレックス・ルビンにとっては、これが初の劇作品だというから、次回作を期待しても良い作り手であることはたしかだろう。

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公開情報

5/24(土) 新宿バルト9 ほか全国公開!
配給:クロックワークス
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