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世界はそんな風にして崩壊している

ドゥニ・ヴィルヌーヴ『複製された男』

文=

updated 07.16.2014

とてつもない事態が、止めようもなく進行している。そのことだけはハッキリとわかる。ひとつひとつの物音が際立った輪郭をもって立ち上がり、風景そのものが小刻みに震えているようにすら見える。それは、世界が崩壊する兆しにほかならない。

そんな風にしてこの映画は幕を開ける。冴えない歴史講師アダム(ジェイク・ギレンホール)、その冴えなさに似つかわしくないセクシーな恋人メアリー(メラニー・ロラン)。アダムはある日、一本の映画の中に自分自身を発見する。端役を演じるその俳優アンソニー(ジェイク・ギレンホールの一人二役)は、アダムそのものの容姿をしていた。

アダムは、狩りたてられるようにしてアンソニーに接触する。その行為が、妊娠6ヵ月に入ったアンソニーの妻ヘレン(サラ・ガドン)を動揺させ、夫婦の間に亀裂を生じさせてゆく。

冒頭から張り詰め一瞬もゆるまない不安と焦燥は、ふたりの対面場面においてクライマックスを迎える。場所はホテルの一室。カーテン前に立つ逆光のアダムと、ドアから顔を半分覗かせ、おののきながら彼を見つめるアンソニー。その時緊張はピークに達し、我々は吹き出す。笑うほかないではないか。世界はずっと崩壊の予感に震えてきたのに、その崩壊が、その瞬間、最高に凡庸な顔をしてやってきたのだから。

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だが我々は、肩透かしをくらったわけではない。その時たしかに、世界は崩壊した。それを精神分析的に読み解くほどつまらないことはないが、辻褄はすべて合っているし、世界の崩壊なんてその程度のつまらないことであるというのも事実なのだ。

つまり、妻が妊娠し、とうとう蜘蛛の巣のような生活の網に絡め取られ、もはや二度と自由は訪れないという絶望を受け入れようとしつつあるひとりの男がいる。それでもなお、あり得たかもしれないもうひとつの己の人生を妄想するのだ。極めてありふれたことではないか。もうひとりの己はまだ独身で、飽きたらいつでも交換可能な(経済的にも自律している彼女を捨てても、なんら心は痛まない)、その意味でも最高にセクシーな彼女を持っている。だが、“幸せな家庭”を持たぬその男は、“現実の己”に比べて冴えない劣った存在でなければならない。すべてにおいて劣っているが故に、その男の持つ自由は輝く。だから、その男になりたいわけではない。ただほんのひととき、その自分になってみたいだけなのだ。なっていたかもしれないもうひとりの己に。

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かくして世界は崩壊する。いや、蜘蛛の巣に絡め取られたと感じた瞬間から、世界はすでに崩壊しているのだ。我々の世界など、そういう風にして、いつでも崩壊している。いや、崩壊と感じるにも値しない世界を生きているに過ぎない。そのことを、大仰すぎることもなく、美しすぎることもなく、必要以上にもったいぶることもなく、あっけらかんと映画にして見せたのがこの作品ということになるだろう。瑕疵はほとんどなく、完成度は極めて高い。

だから、しかつめらしく“解読”する必要などどこにもない。この世界を生きている者ならば、男でなくてもひとかたならず身に覚えのある事態をそこに見いだし、直ちに理解するだろう。これはまさしく、もう己の物語なのだと。観客であるところの己から派生するもう一人の己から派生するもう一人の己。そういうことだ。

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7/18(金) TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
公式サイト:fukusei-movie.com