mandela_main

「正史」の物語

ジャスティン・チャドウィック『マンデラ 自由への長い道』

文=

updated 05.24.2014

思えば、我々の世代にとって80年代とは「アパルトヘイト」の時代でもあった。「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」によるチャリティー・アルバム『サン・シティ』(85)を買い、ポール・サイモンの『グレイスランド』(85)が、南アフリカのミュージシャンたちと共に制作されたことで批判されるのに首をひねり、獄中殺害された活動家スティーヴン・ビコが主人公の『遠い夜明け』(87)に憤慨したりしていたものだった。そういえば、この映画でビコを演じたデンゼル・ワシントンがあまりにも端正なので、マンデラの顔がかっこわるく見えて、「フリー・マンデラ」キャンペーンにはいまいち乗り切れなかったのを覚えている。
つまりはその程度であったにせよ、「反アパルトヘイト」というものは80年代の日本人中高生にとっても、十分身近な「文化」だった。その一点において、西側諸国において展開されていた反アパルトヘイト運動は、ある程度以上の成功を収めていたということがいえるだろう。同時に、教師を含む大人たちの中には、「でも、日本人は名誉白人扱いらしいよ」という決まり文句を付け加える者も多かった。そういうときの彼らの顔はヘンに上気していたような気がする。その姿を見ながら、「中国人と同じ顔の日本人が白人扱いされるなんてあるわけないじゃん」とバカバカしく感じたものだったと書き記せば少し誇張していることになり、実際にはそう感じながらも「白人同様の扱いを受けるのはどういうかんじなのか、体験してみたい」という素朴な好奇心をうっすら拡げてみるだけだったというのが実態である。
実際この映画を見ると、1950年代の景色として登場するだけだが、駅構内は「白人/有色人種」に分かれているのではなく、「ヨーロッパ人/非ヨーロッパ人」に分かれていた。それが80年代にいたるまでにどのように変化を遂げたのかは知らないが、「名誉白人」などというカテゴリーの入る余地はどこにも見られない。

mandela_sub02

さて、マンデラ本人やその家族といった人々からの正式な承認のもとに作られたというこの作品は、なによりも「正史」の映画である。たとえば、マンデラ本人の女癖が悪かったといったいわゆる「人間的な要素」も触れられてゆくわけだが、そのこと自体は「正史」性と矛盾するものではない。むしろ、「正史」の説得力を強化するものとして適度に導入されているのだ。
そういうわけで、非暴力路線→武装闘争路線→非暴力対話路線という風に変化を遂げてゆくマンデラ自身のスタンスが、とてもわかりやすく物語化されている。例えば、投獄期間の終盤からは、白人への報復を求めて燃え上がる黒人の怒りを前にして、どのようにして「対話と和解」を実現させたのかという過程が描かれることになるわけだが、「暴力」と「対話」という二つの路線は、マンデラが獄中にあった27年の間(1967〜1990)に過激な武装闘争へと突き進んでいった元夫人、ウィニー・マディキゼラとの間の深刻な対立関係の物語として描かれる。それ故、武装闘争の放棄(切り捨て)=対話と和解は、すなわち二人の離婚=「報復の連鎖への終止符」というかたちをとって止揚されてゆく。

mandela_sub03

ただしここで気をつけなければならないのは、上述のような図式化は、ウィニーによる武装闘争を「悪」として描くことで、マンデラの非暴力を「善」として際立たせるという、通常の「正史」がおこないがちな単純化および美化作業として行われているわけではないということだろう。
つまり、明確に言語化されることはないものの、物語の展開を冷静に見つめれば、過激な武装闘争で人が死にまくり国土に恐怖が充ちたという状況が、マンデラの打ち出した「対話・和解」路線に圧倒的な説得力と正当性をもたらし、最終的にはその「理想」が現実のものとなることを可能にしたということは明らかなのだ。どちらか一方だけでは、白人支配体制をひっくり返すことはできなかった。文字通り「一面戦争、一面交渉」の局面が、その事実から目を逸らすことなく描かれているのである。
「歴史」とは必然的に、ミクロに寄りすぎれば流れが見えなくなるし、マクロに引きすぎればディテールを失い「ウソ」に近づいてゆく。そのディレンマを巧みに乗り越え、魅力的でかつ説得力があり、しかも現実につきまとうある過酷な側面からも目を背けない「正史」を語り上げたという意味において、評価されてしかるべき作品だろう。

mandela_sub01

公開情報

5月24日(土)公開
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
(c) 2014 Long Walk To Freedom(Pry)Ltd.