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ラース・フォン・トリアー『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』

生真面目すなわち可笑しい

文=

updated 10.07.2014

どうにもここのところのトリアーの映画には、というか『アンチクライスト』(09)で剥き出しになった度し難い生真面目さにはイヤ気がさしていたのだが、「色情狂」を主人公とした映画と聞くとやっぱり興味を惹かれて、結局見てしまうという次第。なにはともあれ、企画の勝利とはいえるだろう。

さてこの映画、それぞれ2時間前後の二編にわかれている。全体は、プロローグとエピローグに挟まれた8章立てとなっており、その構成から明らかなように、あからさまに近代小説的な語りが展開される。

まずプロローグで、雪のぱらつく薄暗い路地に倒れているジョー(シャルロット・ゲンズブール)が、通りかかったセリグマン(ステラン・スカルスガルド)に介抱されるところから映画は始まる。孤独なインテリであるセリグマンの部屋で、ジョーの半生が回想され、第1章の幕が開くのである。セットで組まれた人工的な路地は、そのままジョーの仄暗い意識の内奥であり、それを見下ろす部屋に住むセリグマンが精神分析家の役割を果たすというわかりやすい構造が、ここで準備される。

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処女喪失、“男釣り”、処女を与えたJ(シャイア・ラブーフ)との再会と失恋、複数の男たちとの同時進行の関係、父親(クリスチャン・スレーター)の死の床での性的興奮、性器の麻痺、出産、性的快感を取り戻すための探索行、その過程での“調教”体験、セックス依存症自助グループへの出席、性体験によって得た人間洞察の鋭さを活かした非合法ビジネスへの参加、そして“後継者”の発掘と裏切りといったことが語り起こされる。セリグマンは、書物を紐解くようにして、解釈や見識を披露しながら耳を傾け続ける。

解読にすこし時間のかかる細部もあるが、図式的といってしまってもよい極めてわかりやすいお話が展開される。そして面白くないわけではない。そもそも、路地の佇まいからしてヘンだし、随所に挿入される字幕、たとえば初体験時に前から三回、後ろから五回乱暴に突かれたことから「3+5」という数式が忌まわしいモノとして脳に刻まれたといったような部分に現れる、まじめなようなふざけたような、要するにひとことでいえば生真面目さがすなわち可笑しさであるような味わいが復活していたのである

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その生真面目さは、セリグマンというキャラクターの中に凝縮され体現されている。聞き手である彼は観客の立場とも重なっているわけで、その彼が最後に至って起こすある行動と、それに対するジョーの反応は、この映画に対する「精神分析的に、そしてジェンダー論的にわかりやすすぎる」という批判めいた感想の裏側を突いていて、トリアーらしい笑いの瞬間を招来するだろう。なお、ここでのトリアーらしさとは、例えば『ドッグヴィル』(03)や『マンダレイ』(05)あたりの味わいを指している。つまり、ちょっとしたひっくり返しのユーモアと破壊力のことだ。

そういうわけで全体として楽しめる出来ではあるのだが、小説を読むようなちょっと懐かしい楽しさはあっても、トリアー流の“過激なポルノ”みたいなものを期待してはいけない。腹が立つと思うので。いわずもがなかもしれないが。

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公開情報

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『ニンフォマニアック Vol.1』 10月11日(土)/『ニンフォマニアック Vol.2』 11月1日(土)新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町・渋谷ほか全国順次公開
配給: ブロードメディア・スタジオ