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そういう場所に

ガス・ヴァン・サント『プロミスト・ランド』

文=

updated 08.21.2014

かつて、『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男』(83)という映画があった。テキサスの石油メジャーに勤務する主人公が、コンビナート建設用地買収のためにスコットランドの片田舎町に派遣されるというお話だった。

村に到着してみると、そこでは彼の住む大都市ヒューストンとは全く違う時間が流れている。村人たちの素朴な性根や生活リズムに心洗われる思いをしながらも、主人公は買収交渉を進めてゆく。だがそれに応じない偏屈ジジイと、経済論理の埒外にいる神話的な“石油メジャー社長”という存在によって、結局のところ「この美しくのどかな景色が破壊されなければいいなあ」という観客の希い通りのハッピーエンドがやってくることになる。

映画の作られた80年代には、そういう選択もありうるのかもしれないという淡い希望によって、うっすら現実と接続されたおとぎ話として機能し得たわけだ。しかし2014年の現在時においては、二重の意味で、現実とは完全に隔絶したファンタジー以外のなにものでもなくなっている。

まずなによりも、グローバル経済から切り離された“田舎町”は、たとえ破壊されなかったとしても、“そのまま”のかたちで存続してゆくことは決してできないという事実がある。そして用地買収を進める資本の側は、もはや誰の欲望を遂行しているわけでもなく、ただひたすら経済の論理によって駆動し続ける剥き出しのマシーン以外のなにものでもなくなっているということ。要するに論理的に考えて、こうした“破壊”に棹をさすものはなにひとつないという状況にある。

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この映画の主人公スティーヴ(マット・デイモン)は、石油に替わる“夢のエネルギー資源”とされるシェールガス採掘のために用地買収を担当する、大手エネルギー会社の社員である。自身が荒廃した田舎町出身である彼は、この用地買収こそが不況下の農業地帯を救うと心から信じている。つまり経済機械の歯車である彼自身は、経済の論理だけで動いているわけではない。言い換えるなら、それはすなわち経済の論理が提供するまやかしの理屈を心の底から体現しているということでもあり、揺るぎない信念を持った宣教師ということにもなるだろう。実際、彼の信じるとおりそれは“恩寵”なのかもしれない。だから、例えばある種の脅しをも用いて“安く買いたたく”といったようないわゆる“汚い手段”を用いることに、一点の良心の曇りをも感じることがない。なぜなら、すべては彼ら自身のためなのだから!

突如開けた“希望”の風景にたちまち心を奪われ、彼を救世主として受け入れる人々がいる一方、きわめて真っ当にも、その教義に疑義を唱える声も上がる。いわく、シェールガス採掘が環境に対してどのような影響を与えるのか、検証が不十分ではないか、と。

同時に、主人公にとって、買収活動を行うということは村に滞在し、住民たちと共にある程度まとまった日常の時間を過ごすということを意味する。その過程で人間関係も深まってゆく。都会から生まれ故郷へ戻ってきた魅力的な女教師(ローズマリー・デウィット)と親しくもなるし、買収を進めるということはすなわち彼女の選択した人生の進路に棹さすことにほかならないことも明らかとなるだろう。しかも、彼の教義に疑義を差し挟む老教師(ハル・ホルブルック)すら、魅力的な人物であることがわかる。

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それでは、スティーヴにとって真の敵はどこにいるのかということになる。彼の活動を妨げるエコロジー活動家だろうか。用地買収がなければ田舎町が滅びの一途を辿るであろうことは明らかだが、シェールガスだけが救済手段なのだろうか。そういう葛藤が、遅ればせながら彼の中で始まるわけだ。

ひとつだけ、われわれも知っていることがある。シェールガス採掘をがむしゃらに進めるその経済機械こそが、この町を滅ぼしてゆくものに他ならないということだ。

その事実を踏まえた上でこの映画は、すなわちこの映画の主人公は、どういう選択するのか。その描き方はとても誠実なものだった、と記しておこう。もちろん、ある種のファンタジーにはならざるを得ない。だが、思考停止状態をもたらすものでは決してない。そういう場所へと、さりげなくわれわれを連れて行く、きわめて巧みな映画なのだ。

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公開情報

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8月22日(金)、TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほかにて全国ロードショー!
配給:キノフィルムズ