naturalbornheroes

物語の圧倒的な束

クリストファー・マクドゥーガル
『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ』

文=

updated 12.11.2015

“ポスト・アポカリプス”的想像には、「アイツら全員死んだらスッキリするだろうなあ」という妄想の具体的な気持ちよさもあるが、もっと単純に「人類滅亡」そのものの持つ爽快さがある。もちろんその小気味良さの根本には、「(大災厄が人類を襲っても)自分だけは生き残る」という無根拠な設定がある。そしていうまでもなく、実際にそんな事態が発生したら、必ず自分だけが助かるはずがないし、確率論からいっておおかたのところ死ぬと考えるのがリアルな思考というものだろう。だからこそ、こういう“中学生的想像”の世界に羽ばたきたいという連中は、サヴァイヴァル・ナイフやらなんやらを買いそろえながら、“来たるべき日”に備えて身体能力を高めるトレーニングを密かに重ねておきたいという妄想もたくましくすることになる。

実は本書、「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ」といういかにも“中学生的想像”を刺激してくれるタイトルが示すとおり、そうした妄想の現実化にすこしだけ、だがきわめて具体的に手を貸してくれる。「今年こそ身体を鍛えるぞ」という決意をいまだかつて実行に移したことのない中年男でも、“生き残り術”を驚異的に高めることができるというのだ。年齢など関係ない。男女差にも意味はない。ほかの生物に比べて人類の雄雌の間にある身体的格差は無いに等しいのだから、と説く。フィットネス・クラブでアホみたいに筋トレを続ける連中は実際にアホで、隆々と盛り上がった筋肉など不要であるばかりでなく害悪ですらある。強さと耐久力に必要なのは、誰の身体にも備わっている“筋膜”の使い方なのだと教えてくれるのだから、“アームチェア・サヴァイヴァー”としてはとてつもなく興奮するではないか。

とはいえ、そのことだけが書かれているわけではない。この本には無数のレイヤーが積み重ねられ、それとほぼ同じかそれ以上の数のお話の筋が、それぞれのレイヤーから拡がっているのだ。ほとんど一段落ごとに、優に書籍一冊分もしくは長編映画一本分の物語が凝縮挿入されている。それを“寄り道”と呼んでもいいが、その逸脱ぶりにハラハラさせられることがあっても読者はいつしか本筋に連れ戻され、その度に、その本筋を理解するための知識や認識が深められている。

ところでその圧縮の度合いは、たとえばマイク・デイヴィス『要塞都市LA』の読み心地を思わせるところがある。読みづらいということではなく、圧倒的に面白いのだが一段落に詰め込まれた情報がすべて刺激的で、原注から参考書籍にまで食指が伸びてしまい、一向に読み進まないというあの感覚である。白状すると、あの本の場合、結局読了したのかどうかハッキリしない。訳者のひとりである故村山勝敏氏が、「(良い意味で)読み終える必要のない本ってありますよね」とおっしゃっていたのを思い出した。一段落ごとに拡がる迷宮を味わいながら、一生かけても読み終えられない書物。いうならばボルヘスの図書館全体が一冊に収まっているような。そんな本を妄想するのは楽しい——という脱線はともかく、本書である。

主軸となる物語は、第二次世界大戦中の1945年4月24日に、ギリシャのクレタ島で起きたある事件の真相を追う。その日、島を占領していたドイツ軍のふたりいた司令官のうちのひとり、ハインリッヒ・クライペ将軍が、忽然と姿を消したのだ。第一次世界大戦を生き延びた“歴戦の勇士”がやすやす拉致されるはずもないし、なによりも彼が“失踪”した状況を考えると、それは完全にあり得ない出来事であった。

その不可能を成し遂げたのは、英国特殊作戦執行部によって派遣された連中だった。そのほとんどが正規の軍人ではない。それどころか、プレイボーイ詩人、貧乏画家、片目の考古学者などなどという、ロバート・アルドリッチ『特攻大作戦』の主人公たちなみの濃いキャラを持っているくせに、それほど腕っ節が強いわけではないという男たちだった。

なぜそんな一団に、敵陣深くからその司令官を拉致するなんてことが可能だったのか? はぐれもの部隊がどうやって集められ、どのように訓練されたのか。急峻な山々と厳しい気象条件下のクレタ島で、彼らがどのようなコースを移動し、どうやって生き延びたのか。著者マクドゥーガルは、各分野の専門家の助けを借りながら、あるときは自らの肉体を実験台にしながら、あるときは主人公たちの行動に完全に同化しながら、少しずつその謎を探っていく。

その過程でわれわれは、上海の裏路地で編み出された必殺の実戦格闘術を主人公たちに伝授したあまりに魅力的な“英国老紳士”たちをはじめとする奇想天外な人々に出会い、“泥棒”を伝統芸とするクレタ人の文化や実は人間の身体能力を驚異的に高める“スーパー・フード”だったという彼らの食生活に親しみ、さらには神話の時代にまで遡ることになるだろう。

同時に、クレタ人たちが自然と身につけていた「“野生”のスキル」を、現代に蘇らせようとした「ナチュラル・ムーブメント」についても説き起こされる。たとえば、身体を低糖状態に置くことで、現代人の体内にほとんど無尽蔵ともいえるくらい大量に溜め込まれている脂肪を燃焼させ、圧倒的な持久力を身につけるという「脂肪燃料(Fat as Fuel)」方式など、興味深いのみならず明日から実践してみたくなるような知識や方法論がすみずみまで詰め込まれているのだ。

そんなところが、前述の“中学生的想像”の世界に寄与してくれる側面なわけだが、もちろんそれもまた本書のひとつの読み方/使い方に過ぎない。戦記としても体験型ルポとしてもフィットネス本としても、面白い。それにしても、これだけの素材をぶち込み一冊にまとめあげるという作業自体、書き手としての圧倒的な「“野生”のスキル」を必要としたことだろう。自分の身体に眠っている“野生”が自分に語りかける声に耳を澄ますようにして、自分の興味が自分を導く声に素直に従っていきさえすれば、これだけ面白く膨大な物語の束に出会うことができるのか、とついつい鼻息が荒くなる。

◎『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ——人類が失った“野生”のスキルをめぐる冒険』(クリストファー・マクドゥーガル著/近藤隆文訳/NHK出版刊)