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“敗者”と日常

セバスティアン・ベベデール
『メニルモンタン 2つの秋と3つの冬』

文=

updated 12.02.2015

33歳の誕生日を迎えた冴えない青年アルマン(ヴァンサン・マケーニュ)。頭頂部はわかりやすく寂しいし、体型もだいぶだらしなくなっている。美大を出てから10年近くの歳月を、定職に就かずなんとなく過ごしてきた。特に人生の目標はないし、そろそろ本気で生活を変えなければと決心する。いわゆる“中年の危機”というやつで、その時点から「2つの秋と3つの冬」、つまり3年ほどの期間がこの映画では描かれる。アルマンとその学生時代からの親友バンジャマン(バスティアン・ブイヨン)、そしてふたりの周囲の人々はみな、われわれの目の前で3歳ぶんの年をとるのである。

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その間、なにが起こるわけでもない。と書きたいところだが、実は主人公のふたりは死の危機に瀕したりもするので、そうとばかりも言い切れない。ただ、彼らはそういう目に遭って大騒ぎをするわけではなく、むしろそのおかげで女性に出会ったということの方を、よほど重要な出来事として受け止める。誰しも中年にさしかかると死を意識するわけだが、女性たちの出現によって、それを単なる人生の新たな局面のひとつと肯定的に捉えることができたのだともいえるかもしれない。いずれにせよ、どんな出来事からも大仰さが排除され、かつてであれば“オフ・ビート”と呼ばれていたであろう調子で物語が語られる。

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そういうお話なので、だいたいどのシーンでも日常の風景が背後にある。そのままデジタルで撮ってしまえば、良くいえば“生々しい”、悪くいえば“学生映画”が出来上がっていただろう。しかしながら、様々なメディア=画質が使い分けられ、登場人物が観客に語りかけるという形式が、わりと頻繁に“カメラ目線”で表現され、ひっきりなしに“引用”がおこなわれる。

最初はその青臭さにうんざりさせられるのだが、すぐに、重要なのはその点ではないことに気づく。たとえば、どうということもない街角、カフェの一角、林の中といった、普通であればもっとも“アリもの”の舞台装置で用が足りるシーンにおいて、あえて“キッチュなスタジオ内撮影”に見えるような色彩や照明が選択されているのだ。それが句読点となって、作品全体を映画として引き締めている。たたみかけるような展開はないが、よく練られたリズムが刻まれているのだ。

たまたまパリの“同時多発テロ”直後に見たせいもあり、最初のうちは、しょせんは恵まれた境遇でしかない主人公たちの姿にイラつくという面もあった。だが、もちろんそんなことを彼らにいっても仕方がない。どんな場所と境遇に生まれ落ちた人間にも、日常生活はいやおうなく続くのだから。

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2015年11月、40に手が届かんとしている彼らは、もしたまたまバタクラン劇場に居合わせていなければ、相応の衝撃を覚えながらも、相変わらずぶつぶつとせんないことをしゃべり合いながら毎日を過ごしていることだろう。そう思えたとき、この映画がそれほど嫌いではないことを知った。むしろ、当初は感じ取れなかった普遍性を持ってすらいる。

たしかに、ふと立ち止まって自分がなにもしてこなかったことに気づく瞬間はある。それは“敗者”であることの認識だが、“社会的な敗者”という意味ではない。単純に、「死に勝てる者はいない」という認識に過ぎないのであって、どれだけ深刻ぶって見せても、出発点に過ぎないのだ。ならば彼らのように毎日をやり過ごしてなにが悪いのか、という気持ちになる。

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公開情報

(C)ENVIE DE TEMPETE PRODUCTIONS2013
公式HP: http://menilmontant-movie.com/
12月5日(土)より、シアター・イメージフォーラムにて公開、ほか全国順次