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コーヒーと労働と価格と

ブランドン・ローパー
『ア・フィルム・アバウト・コーヒー』

文=

updated 12.09.2015

コーヒー一杯に何時間も行列をつくったりあれやこれやと御託を並べられるのはうんざりだが、おいしいコーヒーを飲んでしまうと、そうでもないコーヒーに出会ったときの失望はとても深い。では、そのおいしいコーヒーはどこからやってくるのか、どうやって作られるのか、どういう楽しみ方があるのかといったこと、要するに「コーヒー・カルチャー」の“現在形”を見せてくれるのが、このドキュメンタリー作品である。タイトルのとおりなわけだが、「コーヒーについての一本の映画」とつつましいところにまずちょっとした好感を覚える。決して大仰に「コーヒー道」ではないのだ。

とはいえ、この映画がカバーしようとする範囲は広い。コーヒーの源、すなわちコーヒー農家で収穫される「コーヒー・チェリー」から、それが精製を経て「コーヒー豆」となり、「焙煎」「抽出」といった各段階、そしてわれわれにコーヒーとして提供される過程に関わる人々の顔と言葉と景色が映し出されていく。

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単純に、「最初は赤いコーヒー豆」というイメージ以上の知識を持たなかった身としては、甘い果肉を取り除き種子を発酵させるという過程を目の当たりにすること自体がすでに興味深い。また、“第三世界”のコーヒー農家たちの多くが、われわれの親しんでいるようなコーヒーを飲んだことがないという事実は意外でないにしても、実際にアメリカからやってきたバリスタが淹れたコーヒーをホンデュラスの農家の人々が飲み、あまり表情に出さないままおどろく姿にも、軽い衝撃を受けるだろう。

この映画に登場するポートランドの「スタンプタウン・コーヒー・ロースターズ」は、産地から直接豆を買い付けている。そのためには、コーヒー農家の生活環境そのものを改善することも厭わないし、最終形のコーヒーを実際に体験させることで、巨大産業の一歯車という従来のあり方から彼らを脱却させようともする。より高品質な豆を安定的に確保しようという徹底した努力というわけだが、裏を返せば、豆の価格変動によって農家が翻弄され、それが品質にも響くというリスクを最小限に留めようというシステムでもある。

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正直なところ、コーヒー農家の人々がコーヒーを振る舞われるというシーンは、アメリカの“最先端文化”の担い手が「白人のダンナ衆」の愛好する飲み物を味見させてやるという図にも見えたし、この方法論を押し進めていくと結局のところコーヒー豆生産のみに依存する偏った産業構造を強化することにもなるのではないかなどと気になるところはいくらでもあったが、すくなくとも、おいしいコーヒーを飲みたいという需要に対して、可能な限り高品質なものをできる限り品質に見合った適正な価格で提供したいと考えること自体は、直接の関係者の範囲に絞っていえば間違いではないのだろう。なにしろ66分という尺しか持たない「コーヒーについての一本の映画」なわけだから、ひとまずそこで議論をおいておくこと自体も誤りではないはずだ。

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懐具合を気にしながら生活をしていると、外で昼食をとったあと飲もうとしたコーヒーが500円前後したりすると一瞬ギョッとするが、「千円を超えたとしても安いのだ」という議論は、この映画を見た後では納得することができるだろう。自らの提供する労働の質に自信があるのなら、それに見合った対価を求めるのはあたりまえのことだという感覚を日々鈍磨させていくのがこの社会のあり方だとするなら、そんなことを考えさせるこの作品は、タイトルほどはつましくない射程を持っているということになる。

そういうわけで、見終えたあとには素直においしい一杯が無性に飲みたくなった。

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公開情報

(C)2014 Avocados and Coconuts
2015年12月12日新宿シネマカリテ、モーニング&レイト公開ほか、全国順次公開!