高校時代、同じ電車で通学する友人がしばしば「腹が痛い」と便所に駆け込んでいたのだが、そのたびに「弱いヤツ」とうっすら軽蔑する気持ちを抑えられなかったのを覚えている。社会人になってからも、たとえば海外出張の折、よりによって空港までの道をタクシーで走り始めた瞬間に「腹が痛い」と言い出す同僚には、心底うんざりしたものだった。そもそも「腹が痛い」という婉曲話法にも腹が立つ。「うんこ漏れそう」と言え。
なにしろ三十代後半まではとにかく腹が強かった。朝一度トイレに行きさえすれば、翌朝まで便所にかけこむ必要はまったくなかった。そもそも「腹に来る」とはどういうことなのかを知らなかった。ところが、加齢のためかある時期から体質が変わり、わりとひんぱんに「腹に来る」ようになった。そうすると、立ち回り先各所で快適なトイレの分布図を把握しておくようになり、昼食時にもその後の時間との兼ね合いでメニューを選択するようになってしまったのだ。なんという落ちぶれかたかと絶望したものだ。
しかも認めたくはなかったが、平日の日中は腹具合を気にしなければいけないのに、夜になって飲みはじめてからや週末にはその心配がない。あきらかに、ストレスに腹が反応しているのだ。そのことに、自分自身が気づくまでにはしばらく時間がかかった。だがわかってしまえば、「腹具合」はずっと前から自分のことをいちばんよくわかってくれていた相棒であるようにすら感じられるようになったのだった。長々私事を書き連ねてしまったが、『バッド・マイロ!』もそんなお話である。
ちょっと気が弱くて、嫁にも上司にも詰められっぱなしの主人公ダンカン(ケン・マリーノ)は、いつもお腹の調子が悪く、なにかあると「キュルルル」と腹に来てトイレに駆け込む生活をしている。それがあまりヒドイので医者に診せると、大きなポリープがみつかる。そいつがマイロで、マイロはダンカンが腹の痛さで気絶している隙に彼の敵を惨殺したりしてくれる頼もしいヤツなのだ。だが「腹具合」とは、上述のとおり、当人の認識に先んじてストレスを察知し、もろもろ考え合わせて我慢しなきゃとか、いくらなんでも殺しちゃダメという判断は下せない。それで、マイロをおとなしくさせるためのダンカンの苦闘がはじまるというわけだ。
そこから先のお話はだいたい想像通り。でもマイロというキャラクター同様、映画そのものもなんだか憎めないというかちょっと愛らしい。そう、ETがちゃちく粘膜質になったみたいなマイロの造形に意外性はないが、CGではない手ざわり感と、ちょっとしたシワの変化で生まれる表情は想像以上に豊かでカワイイし、セラピスト役で登場するピーター・ストーメアも楽しそうだし、なによりも全体としてただの悪ふざけで作られている感じがあまりしないというのがとても好感を持てる。しゃらくさいB級映画パロディではなく、ただのB級映画なのだ。
ところで、先日筆者もまた大腸内視鏡検査を受けたところ、マイロ(ポリープ)が二匹見つかった。「切除しましょうか」という医者の質問に、つい「日を改めます」と答えている自分がいた。この映画を見たせいでなんだか別れがたくなったということではなく、切除後一週間の断酒がキツかったからに過ぎない。だが、撮影されたわがマイロたちの写真をあとで眺めていると、なんとなくカワイく見えてきたというのはホントのことである。マイロのせいで腹が弱くなったわけではない(はずな)のだが。
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