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不意打ちするユーモア

ジェレミー・ソルニエ『ブルー・リベンジ』

文=

updated 02.12.2015

「復讐」が甘美な主題であることに異論はない。なにしろ、暴力が完全に正当化されるところから始まるのだから。同時に、復讐の達成が苦いものでしかないという結論もまた容易に腑に落ちる。よくいわれるように、復讐によって起きてしまった出来事を起きる前の状態に戻すことはできないというのは当然だし、復讐を生きるよすがにしていた者は、達成と同時に生きる意味を失う。この映画が、復讐をそうした側面から語るものであることは、タイトル——邦題『ブルー・リベンジ』も原題『Blue Ruin(青い廃墟)』も——によって、あらかじめ示されている。

主人公ドワイト(メイコン・ブレア)は、ホームレスとして登場する。両親を殺され、社会生活を営み続けることに意味を見いだせなくなったがゆえの状態であったことが、やがて観客にも明かされる。そこへ、司法取引によって犯人たちが刑期を終えることなく釈放されたとの報がもたらされる。

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文字通り生きる意味を復讐に見いだした彼は、心身を整え、行動を開始する。当然、殺しの素人によるひとつの殺しは次の殺しを導き出し、彼は底のない淵の奥へと足を踏み入れてゆくことになる。それはまたおそらく、復讐を達成した先に待ち受ける生に耐えられないと感じるドワイト自身による、無意識の自己破壊的な選択でもあるだろう。

もちろんリアルで苦々しい復讐ものであることそのものには、特別な目新しさはない。にもかかわらずこの小品がわれわれの記憶に残りうるとすれば、ひたすら生真面目なまでに作り手の考えるリアルさを追求しながらも、ギリギリのところでジャンル映画としてのユーモアを忘れていないからだろう。

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主人公は生真面目、映画のトーンも生真面目でスタイリッシュひとすじなのに、アート映画の小さな枠組みだけに留まりたくないという意志が、あたかもそれが必然であるかのようにして奇妙な破綻を持ち込む。それが可笑しい。そしてその点が、この映画を救っているのだ。そのユーモアは、不意打ちされることで最大の効果を発揮するはずだから、ここでは詳細に立ち入らないことにする。

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公開情報

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2月14日(土)、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
配給:トランスフォーマー
公式サイト:www.blue-revenge.com