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「悪」と「正義」と「陰謀」と

マシュー・ハイネマン『カルテル・ランド』

文=

updated 05.04.2016

いまから十年ほど前、アリゾナからニュー・メキシコに入ってしばらくしたあたりの路肩に車を停め、国境地帯の寒々しい風景を写真に納めていたときのことだった。前方からやってきた自家用車が突如タイヤを軋らせUターンしたかと思うと、われわれの車の横に急停車した。助手席の窓が下がり、サングラスをかけた中年女性が運転席側からわめきはじめた。支離滅裂ではあったが、要するにわれわれが合衆国の安全を脅かしていると非難しているのだった。

目の前には鉄条網をいただくうすっぺらな「分離壁」が見渡す限り続いているだけで、検問所があるわけでもなく撮影禁止の立て札もない。車は明らかに警察車輌ではなかったが、女性が非番の警官なのかどうかは判断がつかなかった。錯乱しているといいたくなるほどに感情剥き出しで高圧的な態度には、どこか暴力に支えられているような気配があったのだ。面倒というより危険を避けるためにフィルムを抜き捨てて見せようかと考えた瞬間、「あんたら9.11を忘れたの!?」と捨て台詞を残して走り去った。しばらくしてから、国境地帯の自警団メンバーのひとりだったかもしれないと気づいた。この映画に登場する「アリゾナ国境自警団」の姿を見ていて、あれはやっぱりそうだったに違いないとあらためて感じた。

リーダーのティム・フォーリーは、従軍経験のある典型的な貧乏白人である。虐待を受けまくった最低な生育歴と、それを連鎖させながら成人してからの大部分の時間をクズとして過ごしてきた自分自身の人生を埋め合わせるために、「祖国を侵略から守る」というようやく見つけた大義にしがみつき、日夜兵隊ごっこにいそしんでいる哀れな男である。仲間もおおかた同じ種類の人間だろう。国境地帯の不法入国者をいくらつかまえたところで、「合衆国の安全保障」になんら影響がないのみならず、彼らの心すら満たされることはないにちがいない。

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一方で国境の南側、メキシコ中西部のミチョアカン州で勢力を拡大している自警団は、それとはまったく違った貌を見せる。「テンプル騎士団」を名乗る麻薬カルテルの非道に、武装をもって抵抗するために結成されたこの集団は、ひとりの医師ホセ・マヌエル・ミレレスをカリスマ的指導者として破竹の勢いで“進軍”している。町をひとつずつ、カルテルの支配下から“解放”していくのだ。

住民の熱狂的な支持を受けているミレレスの下には、“パパ・スマーフ”、“エル・ゴルド”と呼ばれる部下たちがいたりして、キャラの立ち具合はほとんど『三国志』を思わせる。“運動”には次から次へと住民が合流し、「テンプル騎士団」はおろか武装解除を迫る連邦軍までもが蹴散らされてゆく。ところが、その活動がピークを迎えたように見えるころから雲行きが怪しくなる。

“解放地区”の住民のうち、カルテル・メンバーと疑われた人物は容赦なくひったてられ拷問を受けるのだが、どうやらその中には、ただ単に自警団メンバーに嫌われたという理由で暴力を加えられている連中もいるようだし、掠奪行為やドラッグ取り引きすら行われているという苦情がミレレスの元に届きはじめるのだ。ミレレス本人もまた、カメラの前であからさまに若い女性を口説いたりして、「家族と故郷の仲間を救うべく立ち上がった高潔な紳士」という人物像を逸脱し始める。そうこうするうちに案の定、住民の中からは、結局のところ自警団といってもその本質はカルテルと変わりはなく、誰もそんな連中の助けなど求めていないという声が上がり始める。

こうして、「正義のためには必要悪に手を染めることも辞さない」と考える抵抗勢力が、いつのまにか敵であるところの「悪」とまったく同じ姿になっているというお馴染みの状況が現出する。これはもちろん、珍しいことでもなんでもない。「ミイラ取りがミイラになる」ということですらなく、既得権を握る組織に比肩する強度を獲得するためには、必然的に、権力集団に内在する「悪」と同じものを、自らのうちに懐胎しなければならないということなのだろう。

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さらには自警団そのものが、国家規模の陰謀というか計画によって生成されたものなのだというほのめかしもなされる。「麻薬戦争」とは、結局のところ小規模勢力の乱立をひとつの支配的勢力に統合し、ドラッグ利権の筋道を管理しやすくするためのものに過ぎないのだという、これもまたよく耳にする話のことだ。

ひとつだけハッキリしているのは、この連中と対比させるかたちで見せられるアリゾナの国境自警団など、その勢力のなさがゆえに滑稽でかわいらしく、このまま彼らの「ごっこ遊び」をそっとしておいてやりたい気分にすらなるということだろう。いいかえると、「麻薬戦争」という物語における「巨悪」の役柄の大部分は、構造的に国境の南側に封じ込められているということになる。それ故にアリゾナの自警団などは金輪際、正義にも悪にもなれないのだ。

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さて、銃撃戦、拷問、命がけの逃亡、ドラッグの精製などなどをカメラに納めながら上述のような物語を語るこの映画だが、実はドキュメンタリーということになっている。だが音楽のつけかたから構成、編集のレベルにいたるまで、面白さだけを追求するという、いわゆるテレビ的な作りが徹底されている。それは意識的に選択されたスタイルであるにちがいないので、この作品が“本物のドキュメンタリー”なのか“ヤラセ”なのかという話はこの際どうでもいいことだろう。

しかしながら、この場面がどうやって撮られているのか、被写体はどういう自意識でこういう行動をとっているのか、撮られることによって被写体にはどんな利益がもたらされ、それがどういう影響を及ぼしているのか、などなどといったことに思いを巡らせながら眺めると、もうひとつの物語が見えてくるだろう。それもまた面白い。

公開情報

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5月7日(土)より、シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開