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人生半ばの迷い

ネット・ベンソン『ラブストーリーズ コナーの涙』+『ラブストーリーズ エリナーの愛情』

文=

updated 02.09.2015

ひと組の夫婦関係が破綻する。そこから始まる物語を、『コナーの涙』は夫の側から、『エリナーの愛情』は妻の側から描く。それぞれ自律した二本の映画である。

コナー(ジェームズ・マカヴォイ)にとっては、原題『The Disappearance of Eleanor Rigby』にあるとおり、妻エリナー(ジェシカ・チャスティン)が突如理由を告げることなく姿を消すという不条理を、どうにか消化しようとあがきまくるお話になるだろう。区切りをつけるには、エリナー自身に理由を問いただすほかないと彼は信じているが、そうしようとすればするほど彼女との距離は拡がってゆく。ならば自然災害が訪れたと思い、すっぱり気持ちを切り替ればいいのだが、ふたりの築き上げてきたものがそんなに簡単に崩れ去るはずがないという盲信を捨てられない。

THE DISAPPEARANCE OF ELEANOR RIGBY

一方、エリナーの側の戦いはもっとハッキリしている。映画は、彼女が自ら命を絶とうとするところから始まる。やがて、劇中言及されることはあっても直接描かれることのないある癒しがたい不幸を巡って、夫の対処方法にがまんができなくなったのだということも語られるだろう。気持ちに整理をつけ“前進”しようとする彼の姿が許せなかったのだ、と。だがほんとうのところ、生きることがそのような“前進”を意味するのならば、そのような生には興味が持てないというのがエリナーの気持ちだったにちがいない。いいかえるとその段階では、夫などこの世界をひっくるめてどうでもよい存在だったのだ。だからここで彼女のたどる道程は、生きる意味の探索そのものであり、その過程で、もしかしたらコナーが再び見いだされるかもしれないというものになるだろう。

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さらにいうと、この映画の物語は、主人公たちが30代の終わりにいたり、“楽しいこと”=“やりたいこと”を追求する勢いだけで人生が拓けると信じられていた人生の一季節が終焉を迎えるという時期に重なっている。一般的には、それこそ子をもうけることなどによって覆い隠されることになる“中年の危機”とでも呼ぶしかないものが、剥き出しの姿で彼らを襲うのだ。

気分転換にと、妹を伴ったエリナーが友人宅を訪れる場面がある。その友人は能天気な調子で、「けっきょくわたしたちって迷いの世代よね。みんな夢破れて、いきなり大学院にもどったりロー・スクールに入り直したりしている」というような意味の言葉を吐く。するとエリナーはめずらしく、つかのま激昂するのだ。それが事実であるということを、ほとんど身体的な痛みとして生きている彼女だからこその反応だっただろう。実際、エリナーは聴講生として大学に通いはじめ、教師とも良い関係性を築きつつあるが、あいかわらず進むべき方向を見いだせずうわのそらであることにかわりはない。

コナーもまた、友人と共にはじめた飲食店が思ったようには立ちゆかず、閉店して業界の成功者である父(キーラン・ハインズ)の店を継ぐか継がないのかという、人生の転換点にいる。もちろん、“若者”としての気持ちからすれば、それは敗退にほかならない。だが、「自分ももう若くはない」という凡庸な事実と、彼もまた向き合わねばならない時期にある。

このように、関係を模索するひと組の男女のお話であると同時に、人生そのものをどうしたらよいのかわからなくなった二人の物語でもあるのだ。とはいえ、同じ迷うにしても二人は恵まれすぎているという批判もあるだろう。コナーは父の店という退却地点があり、エリナーは学者の父(ウィリアム・ハート)と元音楽家の母(イザベル・ユペール)という最大級にリベラルな家庭に育ち、パリへの留学という選択肢すら持っている。だがまあ、それは二人の罪ではない。たまたまそういう風に生まれたのだからしかたがないし、第一このくらいの方が映画としては辛気くさくない。重要なのは、人生半ばで迷うということと、二人の関係の破綻が重なり合っているということであって、それによってこの映画が、ただの「ラヴ・ストーリー」ではない普遍性を獲得し得たということの方だろう。

その上で個人的な感想を付け加えておくと、ぐずぐずと迷いいつまでも煮え切らないコナーの様子に比べて、自殺未遂という極にまで突き進んでから体勢を立て直そうとするエリナーの振れ幅と速度と強度は、同じ迷うにしても気持ちがいい。

実際、『コナーの涙』はほとんど色彩どころか光すらない陰鬱な調子の画で語られる一方、『エリナーの愛情』は明るく色彩が輝き、初夏と思われるNYの風が吹き渡ってくるようにすら感じられる。監督自身は男性であるわけだが、このこと自体にも、男女にまつわる真実があるなあなどと考えさせられた。

当然のことながら、この映画の企画が誕生するその瞬間からジェシカ・チャスティンが関わっていたという事実が、エリナーを圧倒的な魅力を持った女性として捉えることに繋がっている点は否定できないだろうが。そうであったとしても、それは成功しているといわざるを得ない。

最後に、独立した二本の映画とはいっても、やはり両方見ることでしか味わえない魅力があることは書き加えておきたい。それぞれが主人公二人の認識世界に寄り添っているので、二作に共通して登場するシーンにも、微妙なものから明らかなものまで、巧みに差異が織り込まれている。どちらを先に見るのもありだが、これまた個人的には『コナーの涙』から始めることをお薦めしたい。

THE DISAPPEARANCE OF ELEANOR RIGBY

公開情報

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2月14日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー!