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悪魔的な磁力

クロード・ランズマン『不正義の果て』

文=

updated 02.10.2015

ナチスによるホロコーストを、生還者たちのほか元ナチス親衛隊員や収容所付近に住んでいた農民などにいたる関係者らの証言のみによって記録した9時間27分のドキュメンタリー映画『SHOAH ショア』(85)。その監督クロード・ランズマンの新作が、この作品『不正義の果て』である。

もともとは『ショア』のため1975年に撮影されたインタヴューに、新たに撮りおろされたパートを加えて構成されている。中心となるインタヴュー・パートは、テレージエンシュタット強制収容所のユダヤ人評議会最後の長老として戦争を生き延び、当時ローマに住んでいたベンヤミン・ムルメルシュタイン(1905-1989)という人物の姿を映し出す。その悪魔的な陽気さともいえそうな語り口を聞けばただちに理解されるが、彼のインタヴュー素材は『ショア』という映画の持つトーンの中に収まらなかったのだという。そのため、資料映像としてワシントンのホロコースト記念博物館に預けられ、長い間研究者しか見ることのできない状態におかれていた。

テレージエンシュタットとは、ホロコーストの“総責任者”アドルフ・アイヒマンにより国外向けプロパガンダのための“理想のゲットー(模範的収容所)”として建設された。そしてユダヤ人評議会というのは、ナチスがゲットーを管理するための機構だった。つまり評議会はナチスとの直接交渉を行い、その命令によって人々の生き死にを左右しなければならないという役割を負っていたのである。ムルメルシュタイン自身もまた、7年もの間アイヒマン本人と丁々発止のやりとりを続けながら、ほかの長老たちがあるいは処刑され、あるいは自殺する中でひとり生き延びた。

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それ故、彼の果たした役割については毀誉褒貶があり、たとえば思想家ゲルショム・ショーレムなどは、エルサレムにおける裁判でアイヒマンに下された絞首刑という判決には異議を唱えながらも、ムルメルシュタインは処刑されるべきであると主張した。実際、戦後彼はチェコで裁判にかけられているが、すべての容疑について無罪の判決を獲得している。ただし本人はその際に、こんな言葉を残したのだという。「ユダヤ人長老は有罪となってしかるべきだ。だが長老の立場とはどんなものか誰も分かるまい」。そこから自らを、「The last of the unjust(最後の正しくない人)」と呼ぶ。

長老の立場というのは、たとえばナチスによって「100人の名簿を作れ」と命令された場合、その名簿に載る者がほぼ確実に殺されることを理解していながらその命令に対応しなければならないというものだった。次から次へと、考える間もなく下される命令に対して瞬時に判断を下し、次善の策を次から次へと選び続けなければならなかった。そのとき、闇雲に命令を拒否すれば、ただ自分が殺されるだけで、状況は微塵も改善されない。

その場合、どのように行動するのが正しかったのだろうか。ムルメルシュタイも認めているように、彼もまた自分の命は惜しかった。たとえ限定された数であっても他人の命を救うには、自分が生き続け、交渉し続けなければならない。多数の命を救うには少数の命を犠牲にしなければならないという局面も連続しただろう。そのとき、ムルメルシュタイン一個人の道徳的純潔に、どれほどの意味があるだろうか。「私には冒険欲がある」と彼は語る。“冒険欲”によって生き延びた、と。その言葉どおり、誰よりも道徳的な臨界点に近づいていったのだろう。

似通った状況の中で、おそらくはムルメルシュタインよりもだいぶ弱い人間、すなわちよりわれわれにより近い者を主人公にした作品としては、たとえばフランスのBD、『Il était une fois en France(昔々フランスで)』が思い起こされる。そこでは、フランスで財をなしたひとりの東欧系ユダヤ人が、終戦(ドイツ敗戦)後をも見すえながらナチス占領下を生き抜くために、一方ではドイツに協力し、同時にレジスタンスを手助けするという姿が描かれていた。まさしく、弱い一個人が困難な状況の中でどのように生きうるのかというお話である。この場合彼の有罪性は、対独協力によって失われた命の数と、レジスタンスへの協力によって救われた命の数を比較することで算出されるものなのだろうか。

そう考えると、遠く時空を隔てた歴史の物語ではなく、われわれひとりひとりの直面しうる問題が、『不正義の果て』の中では語られているということがわかる。われわれがその立場にあったとしたらなにができたのか。あるいは、その状況にいなかった者が事後、特定の状況下でなされた行為を断罪できるのか。実のところこれは、人間社会で生きていく上で、われわれがいつでも迫られ得る問題ですらあるだろう。

218分のこの映画を見ながらそんなことを考えるわけだが、その間にも抗いがたい魅力でわれわれの視線を惹きつけるのは、当然のことながらムルメルシュタインその人である。悪魔的な陽気さと先に書き付けたとおり、ほぼアンソニー・ホプキンス演じるレクター博士そのものの容貌で、歯に衣着せぬ言葉を途切れなく繰り出してくる。

たとえば、被害者であるユダヤ人は全員が“聖人”だったとイメージされているが、現実はそんなはずがなく、生き残る(名簿に載せられない)ためにはありとあらゆるもの(セックスや金などなど)が用いられていたと、さらりといってのける。ハンナ・アーレントによって定着された“凡庸な悪”というイメージに反して、本物のアイヒマンは“悪魔”そのものだったと彼は語るが、その悪魔と渡り合うために必要とされたに違いない悪魔的な磁力に、われわれもまた捉えられてゆくのである。

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 クロード・ランズマン監督

© 2013 SYNECDOCHE – LE PACTE – DOR FILM – FRANCE 3 CINÉMA – LES FILMS ALEPH

 

※今回の限定上映では『SHOAH ショア』のほか、収容所におけるユダヤ人たちの武装蜂起について記録した『ソブビル、1943年10月14日午後4時』も上映される。

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『SHOAH ショア』
© Les Films Aleph

 

 

 

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『ソビブル、1943年10月14日午後4時』
© Les Films Aleph, Why Not Productions

公開情報

アウシュヴィッツ強制収容所解放から70年
全人類が共有するべき世紀の映像遺産!
ホロコーストの“記憶”を“記録”した傑作ドキュメンタリー3本!
「SHOAH ショア」「ソビブル、1943年10月14日午後4時」「不正義の果て」
2月14日(土)より3週間限定、渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開
公式サイト:http://mermaidfilms.co.jp/70