INTERSTELLAR

マシュー・マコノヒーの肉体という核

クリストファー・ノーラン『インターステラー』

文=

updated 11.21.2014

多くを語る必要はない。とてもわかりやすいSFである。過去の様々な作品の要素が取り込まれているが、それらネタもとを知っておく必要もない。ちょっとした「難解さ」や「思索性」が売りというか作風のノーランだが、結論から言えばこの作品もまた、そのSF設定が故に「ちょっと難解なかんじ」という印象を与える。その上で中心軸に「人類か家族か」という倫理的二者択一が導入され、それに沿って行動するキャラクターたちへの感情移入線がクッキリと確保されることで娯楽性が担保されているという、見事なバランスに仕上がっていた。

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地球は、人類の生きていける環境ではなくなりつつある。そのおかげで戦争はなくなったが、軍事に技術に回していた資源と知力をすべて生き残りに回しても、絶滅の時を押し返すことができない。主人公は、かつて宇宙飛行士だったが今は農夫として生きているクーパー(マシュー・マコノヒー)。亡き妻との間にもうけた娘マーフ(マッケンジー・フォイ→ジェシカ・チャステイン)と息子トム(ティモシー・シャラメ→ケイシー・アフレック)を、義父ドナルド(ジョン・リスゴー)と共に育てている。

マーフは自分の部屋に「幽霊」が住んでいるという。ある日クーパーは、その「幽霊」からの「メッセージ」により、解体されて久しいはずのNASAの本部に辿りつく。そこでは、人類存続のための「地球脱出」計画が進んでいた。そのきっかけになったのは、土星の脇に出現したワーム・ホールであり、すでに三人の科学者たちがその向こう側に存在するであろう、人類の生存に適しているかも知れない三つの惑星へと出発しているのだという。クーパーは、最後の宇宙飛行士として、プロジェクトの中心人物であるブランド教授(マイケル・ケイン)の娘アメリア(アン・ハサウェイ)をはじめとする科学者たちと共に旅立つことを要請される。二度と子どもたちには再会できない旅となる可能性が高いわけだが、人類、すなわち我が子たちの生存のために、クーパーは娘に帰還を約束して出発する。というあらましで物語は進む。

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この種のSFの場合、「ワーム・ホールをうがち、人類を導いているのは誰なのか(この映画では、たとえば〈幽霊〉の正体とは?)」「ワーム・ホール内にはどんな風景が拡がっているのか」「人類が棲息できるかもしれない惑星の地表にはどういう景色が拡がっているのか」「主人公は帰還するのか」「人類は滅亡を免れるのか」「宇宙船はどんなかたちなのか」といった要素が物語とヴィジュアル表現の核になるわけだが、それらはすべて既視感の中で、だが無難さよりももう少し「冒険的な」と一般観客が感じるであろう領域において過不足なくクリアされていることを記しておこう。これは皮肉ではなく、エンターテイメント映画としてきわめて真っ当かつ賢明な選択がなされているということなのだ。なぜなら、真に革新的な表現を見つけてしまった映画は、すでにそのとき娯楽の枠組みを逸脱しているものなのだから。

巧みに割り出された「わかりやすさ」、すなわち現代風にアップデイトされた「懐かしさ」の感覚は、映画の隅々にまで及んでいる。たとえばクーパーたちの乗る宇宙船は、ほとんどの場合、船外カメラで撮影されたとでもいうようなアングルからの「ヨリ」のショットによって捉えられる。この規模の映画の場合珍しいくらいにシンプルな映像なのだが、視界の限定された「ヨリ」によって、われわれは乗組員たちの置かれている「一寸先は闇」状態を共に味わうことになるし、同時に、時折挟まれる超ロング・ショットが、途方もない孤独の感覚でわれわれを抉るという、シンプルな仕組みがそこで機能している。あるいは、アニメ『ゴールド・ライタン』を連想させたりもする単純な直方体の筐体と、機械っぽさの少ないしゃべりかたを持った(『her/世界でひとつの彼女』のOSみたいに)、相棒としての宇宙飛行士ロボットの造形もそうした感覚の範疇にあるだろう。

さらには、どちらの選択肢の方がより人類の生存に繋がる可能性が高いのかという議論の際に、個人レベルの恋愛感情が突如前景化し、それがやや「世界系」的な色を呼び寄せるのかと思いきや、あっという間に「愛」という感情の持つスピリチュアルな「力」というものに収約されていくあたりの通俗性も、手際がよい。

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そういうわけで、最初から最後まで娯楽映画として高い牽引力を保ちながらわれわれを引きずり回すわけだが、上述のような「ほど良さ」の中に収まる要素に対して、マシュー・マコノヒーだけが、今そのキャリアの中でピークにある彼だけが待つモノとしか言いようのない過剰さによって、この映画に真の肉体を与える。マシューがいなかったとしたら、バランスは良いが、もっとペラペラで無難なだけという印象を与える映画になっていたのだろう。だが彼の存在によって、手練手管や論理だけでは獲得できないアツい核が備わり、思うがままにわれわれのエモーションを誘導し揺さぶることのできる強度が獲得されたのである。

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公開情報

(C) 2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.
11月22日(土)新宿ピカデリー他全国ロードショー
オフィシャルサイト:www.interstellar-movie.jp
配給:ワーナー・ブラザース映画