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死の絶望と倦怠

デイヴィッド・ロバート・ミッチャム
『イット・フォローズ』

文=

updated 01.07.2016

ひとはあるときに、自分もまた死ぬのだと知る。10代の終わり頃といえばそれからまだ日が浅く、子どもだけが持てる全能感も失っていない。一方で、その全能感が、死によって日々おびやかされていることも知っている。だけど、自分だけは死を逃れられるにちがいない。でもそんなはずがない。時間だけは刻一刻と失われてゆく。あと少しでなにかができそうなのに、まだなにもできない。という無限ループの中で焦げつきながら、外から見ればただ無為に時間を過ごしている。

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この映画の主人公たちは、まさにそんな時間を生きている。みな怠そうにぼそぼそしゃべり、終始ダウナーなままはつらつとしない。冒頭、ヒロインのジェイ(マイカ・モンロー)だけがほんのすこし浮かれているようで、それは新しい彼氏(ジェイク・ウィアリー)とデートに出かけるからなのだとわれわれは知らされる。映画館に行き、そのあと人気のない広場に停められた車の中で親密な時間を過ごす。それは19歳の彼女が憧れてきた出来事だが、その顔には、やがて醒めることを知っている夢の中にいるように焦点の定まらない表情が浮かんでいる。

突如ジェイは、彼氏だと思っていた男に告げられる。いまや“それ”は彼女に移ったのだと。“それ”はゆっくりと近づいてくるが、移されていない者には見えない。ただ、彼女の目にはいろんな姿を見せるだろう。“それ”に捕まると、彼女は死ぬ。逃れる方法はただひとつ、性交することで別の人間に移すこと。ただし、移された者が“それ”に捕まったら、“それ”は移した者のところに戻ってくる。彼女自身が捕まれば、移した彼のところに戻る。だから、このルールを教えているのだ。“それ”はゆっくり近づいてくるが、油断しているといつのまにか逃げ場を失う。とにかく逃げ続けるしかないんだ、と。

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もちろん“それ”は、性交によって感染する以上性病そのものである。だがこの映画がおもしろいのは、“それ”が性病を通り越し、死そのものでもあるということだろう。10代後半にある主人公たちの中にうすぼんやりと巣くい始めていた死の概念は、ついに現実のかたちを持ったのだ。

だから、“それ”は多くの場合醜い中年男女の裸体という姿を取る。だらしなく垂れ下がった肉をふるわせながら、“それ”は近づいてくる。ときには、股間からだらだらと尿を漏らしていたり、腐汁まみれのように見えることもある。たまに少年の姿を取るときであっても、“それ”は中断された生の具現化にほかならず、主人公たちにとってはさらに怖ろしい死を意味する。

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しかもこうしたことのすべてが、デトロイト郊外の住宅地と、廃墟と化した街の中心部で展開される。あたかも死に絶えた中心部が、その触手を徐々に郊外の住宅街へと伸ばしているようでもある。いわゆる“一見平和な郊外住宅地”の住民たちは、死の触手が彼らの居住空間を侵しつつあることを知りながら、懈怠の中でなすすべもなくそれを待ち受けているのだ。だからこそ、最後の戦いに挑む若い主人公たちは、郊外の側から「8マイル・ロード」(中心部と郊外を隔てる境界線)を越え、死の領域たる中心部に足を踏み入れることになる。

そういう意味で、画作りの次元で写真家グレゴリー・クルードソンの作品が参照されるのは、きわめて自然なことといえる。なにしろクルードソンの写真といえば、“一見平和な郊外住宅地”に“不自然”な照明を投げかけることで、何事か取り返しのつかないことが起きてしまったという不穏な気配に満ちた悪夢を現出させるものなのだから。

そういうわけで本作は、単なる“ルールもの”のホラーかと思いきや、定石をすべて踏んで見せたうえで、さらにホラーというジャンルの核にある死とそれにまつわる恐怖、さらには恐怖と表裏一体の関係にある恍惚と絶望的な倦怠とを、きわめて端的に体験させる珠玉の作品なのであった。美しい青春映画ともいえるだろう。

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公開情報

(C)2014 It Will Follow. Inc.
2016年1月8日(金)TOHOシネマズ六本木ほか全国公開
配給:ポニーキャニオン