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宙吊りの時間

ホン・サンス『自由が丘で』

文=

updated 12.12.2014

ホン・サンスの新作は、主演が加瀬亮、タイトルは『自由が丘で』と耳にすれば、日本で撮影されたのかと思うことだろう。だが、ここでの「自由が丘」というのは、ソウルにあるカフェの名前に過ぎない。いや、過ぎないというのはおそらく言いすぎで、主人公モリ(加瀬亮)が、思いを寄せるクォン(ソ・ヨンファ)への手紙の中で、「あなたは自由が丘という地名が好きでしたね」と語りかけているように、やはり舞台は「自由の丘」なのだろう。

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ここのところのホン・サンスはほとんど毎作、語りの中にほんのちょっとしたしかけを導入してきた。あまりにストレートな作りになることを照れているようにも、単なる諧謔のようにも、あるいは語りの自由を獲得するための手立てのようにも見えるわけだが、この映画ではそれが、「順不同になった手紙」にあたる。モリの書いた手紙=物語をクォンが受け取り、それを読み始める前に落としてしまう。(おそらく)すべて拾い上げるが、順序はバラバラになっている(ように見える)、というわけだ。映画は、手紙に書かれたモリの語る物語として展開される。

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だから、モリの「冒険」は当初、歯欠け状態で見せられていく。今起こっている出来事の前には何が起こったのか、この出来事はどの出来事につながっているのかと、われわれは想像を働かせながらそれを受け止めることになる。クリストファー・ノーラン『メメント』(00)のように大げさなことではないのだが、われわれの視界にはちょっとしたヴェールがかけられているといってもいい。

それが見事に、かつて生活していたことのある外国を久しぶりに訪れた、という絶妙な距離感でソウルの町角をうろつくモリの感覚にシンクロしている。もちろん謎解きの感覚もあって、こんなことだったのだろうと思い巡らせていた物語のパーツがやって来た時にはちょっとうれしいし、来る来るぞと待ち受けていたエピソードが結局現れなかったり別の形でやって来たりすると、われわれの中で余計にその部分が際立ったりもする。要するに、しかけはきっちり機能している。

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そして、クォンの帰宅を待ちながら無為の時間を過ごすモリは、ホン・サンス映画に登場する大概の男たちの例に違わず、酒を飲んで彼女への想いを熱く語った次の瞬間には別の女性と関係を持ってしまっていたりする。一途に見えて、ブレまくりなのだ。だが、外国で人を待ちながら外国語をしゃべるという、土地、時間、言語と幾重にも宙吊りの状態にあるモリの姿を眺めていると、人生における楽しい時間というのはそういう宙ぶらりんの時間のことなんだなあという素朴な感慨がわき上がってきて、ますます気持ちが軽くなってゆく。その上、『ヘウォンの恋愛日記』のヒロイン、チョン・ウンチェもちらりと登場したりして、この映画の風景はほかの作品の記憶とも混ざり合い始め、ますますわれわれは宙吊りの時間を漂うことになるだろう。

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いってしまえば、宙吊りとは自由のことでないか。であるならば、語りの自由は生の自由に重なっている。それが、なんでもない男女の話を語り続けているだけのような近年のホン・サンス作品の魅力の核心にあるのだろう。そんなことに、ふと気づいた。

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公開情報

12月13日(土)シネマート新宿ほかにて全国順次公開
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