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こぼれ落ちてきたリアルなもの

綿毛『加藤くんからのメッセージ』

文=

updated 12.06.2014

周知のとおり、われわれはみな「夢は叶う」と耳元で囁かれたり、頭ごなしに怒鳴りつけられたりしながら成長してきた。その実現に向けて邁進しなければ「ダメ人間」で、ましてや「夢」を持たない者などは憐れみの目すらを投げかけられてきた。われわれやこの社会がいま抱えているすべての問題の根源はそこにあるとすら言えるということに、もはや異論を差し挟む者はいないのではないだろうか。それを了解した上で、「夢」を語るのかどうかということだ。

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だからこのドキュメンタリーの冒頭、メガネをかけたどんくさいスーツ姿のおっさんが「夢は叶う!」とわめき散らしながら箒にまたがって駆け出す姿を見ると虫唾が走るばかりだし、作品をさらに見てゆくと、彼は30半ばを過ぎた独身で、つい最近早稲田大学を卒業したばかり、かろうじて続けている契約社員としての仕事もきちんとこなしていないようだ。その彼の「夢」というのが、「妖怪になる」ことなのだという。路上パフォーマンスとしても面白くも新しくもないし、率直に言って、もし自分が彼のように空っぽな人生を送ってたら絶望のあまり生きてはいないだろう。ということはつまり、生き続けるための最後の望みとして「夢」だとか「妖怪」だとかの御託にすがりついているのだな、この憐れな男は。という話ではないか。

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このドキュメンタリーを撮っているアニメ声の「監督」とやらにしても、映画を作るのが「夢」だった派遣社員だったそうで、いわば同じ境遇の「加藤くん」をモチーフにしているわりには、自分のことを棚に上げすぎなのではないか。そもそも既婚者だというが、自分はそういう「安全地帯」を確保した上で、より絶望的な状況にある加藤くんをいじくり人目にさらすなんぞ胸くそ悪い搾取そのものではないか。と腹も立ち始める。いちばん頭に来るのは、大学時代の恩師である友成真一ではないか。「妖怪なんか簡単になれる」と言いながら、加藤くんについては「妖怪に新しい概念を付け加えようとしている魅力的な存在」などと矛盾したことを平気で口にする。戯れに人の人生を弄ぶものではない。

そんな具合に、隅々まで嫌うべき要素が詰まっていることを確認しながら見続けていったわけだが、いつごろからか、「おや?」と思うわけだ。「なんだかこいつ、かわいいな」と感じ始める、月並みな瞬間がやってくる。そもそも、「ここまでこいつやこの映画が嫌いというのは己の側の何かイタイところを突いてくるからなのではないか、もしや」と考え始める。

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だが実ははじめからわかっていたのだ。われわれはみな加藤くんと同じ「夢」の呪いにかかっている。だがそれもだいたい、学生生活を終え数年経つうちに忘れ去り、家族を設け「次の世代に地球を託す」なんていう言葉に共感できるようになっていくというのがまっとうな人間の辿る道ではないか。それを、40過ぎても50過ぎても「文化」だとか「創造」だとか口走り続けている人間は、みな加藤くんと変わらない。いわば、すでにして「妖怪」なのだ。いや、無難に社会人をやりながら、という中途半端なことを続けている人間よりも、どこにも退却する場所のない加藤くんの方が遥かに潔いし、きちんとリスクを背負っているじゃないか。よしんば彼が、そのリスクに気づかないという高い能力を持っているからだけだったとしても。

要するに、腹立たしいのは自分の姿を見ているからだし、かわいらしく思え始めるのは上述のようなことに気づいてしまうからなのだ。どれだけ人生があっても足りないから、そりゃ妖怪になって不死になりたいよな。オレだってこのままなんにも成し遂げず、空っぽのまま死ぬのはコワイよ。そう語りかけたい気持ちになる。

中には、「浪人しまくって早稲田に進学した挙げ句一時中退し、復学するなんてことを続けてこられた時点で経済的に恵まれてるんだろ、しょせん」と批判を加える者もいるだろう。だが、「妖怪」ならそんなことを気にすることはない。しゃぶれるものは親でもなんでもしゃぶりつくし利用し尽くして、生きていけばいいのだ。まあ、そこまで冷たくなれればいままで空っぽということもないだろうし、あれほどいろんな人間に愛されるわけがないのだろうが。

「下流社会」だとか「ネットカフェ難民」だとか、現代日本社会の「病巣」を指す言葉がいろいろ作られてきたが、実のところこの加藤くんほど、いまわれわれが生きている社会の、そういう用語からこぼれ落ち続けてきたリアルな姿を映し返す鏡はないのかも知れない。

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公開情報

(C)綿毛
12月6日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてレイトショー、ほか全国順次公開
公式HP: www.yokai-kato.com