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“生”と“死”とその先の“生”

黒沢清『ダゲレオタイプの女』

文=

updated 10.13.2016

大都市郊外の寒々しい小道の奥に、一軒の謎めいた屋敷が立っている。主人公の青年ジャン(タヒール・ラヒム)が足を踏み入れると、広い玄関ホールはうっすらとした闇の中に沈んでいて、屈強そうな老人が彼を出迎える様子は、すでに由緒正しいゴシック・ホラーの趣すら感じさせる。奥の扉がすっと開いたり、二階へと続く階段に不思議な女性の影が閃いたりする。

そこは、「銀板写真=ダゲレオタイプ」を用いて作品を制作し続けている写真家ステファン(オリヴィエ・グルメ)の住居兼スタジオであり、ジャンはそのアシスタントとして雇用されたのであった。

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ステファンは古の写真技術に執着するだけあって、人間嫌いの偏屈者であることがすぐに見てとれる。それがゆえに同道するアシスタントには、ちょうどジャンのように単純で能天気な男が歓迎されるのだということも理解される。

屋敷には、ステファンの一人娘マリー(コンスタンス・ルソー)が同居している。彼女は父の作品の被写体でもある。ダゲレオタイプは、長時間の露光を必要とする。時には一時間を超えることもあり、マリーはその間拘束器具によって姿勢を固定され続けることになる。それは苦痛にみちた時間のはずだが、ステファンには娘を思いやるそぶりはない。

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一方でスタジオの位置する地区一帯は、再開発の波にのみ込まれようとしている。「今手放せば相当な額が手に入る」というやつだ。だがもちろん、ステファンがそのような申し出を受け入れるはずもない。ダゲレオタイプによって今目の前にある現実像を固着させる作業に邁進するステファンには、文字通り銀板に投影される映像以外の、娘や屋敷を取り巻く経済状況といった現実が知覚されていない。

その意味で、ここでの撮影という行為は、一見“生”をそのまま固定する作業であるかのように見えて、その実“生”を“死”の側に押し込める作業であるように感じられる。事実、ステファンは亡き妻ドゥニーズに取り憑かれているようで、その死にもまた深くダゲレオタイプが関わっている。だから、現実世界に生きて動き回っているマリーは、彼にとっていわば亡き妻の幻影でしかなく、その姿がダゲレオタイプに固着されたときにだけマリーは“生”を得ることになるのだ。

ということは、このダゲレオタイプという装置は、単純に“生”を“死”として固着させるものではなく、一般的な“生/死”の二元論を超えたもうひとつの“生”へと、レンズの前のものを送り込む機能を持っているということになるだろう。銀板に焼き付けられた像は複製を持たず、鏡と同様左右反転したまま永久にそこに留まる。

劇中にも登場する、幼児の亡骸を写し撮るという行為は、まさにそのために行われるものなのであるし、その技術を扱う資格は、“生”の世界に目を閉ざしているステファン以外に持たない。だから、ジャンが戯れにダゲレオタイプを撮ろうとするのを見て、ステファンは厳しく咎めるのである。

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そういうわけで、マリーは当初から“生”と“死”の世界を往還しているのみならずそこからも押し出されようとしているのであって、はかなげに見えるのも当然なのだ。その娘をこの世の側に固着させようとするのが、ジャンである。

屋敷の内側と外側、ということは銀板に固着されたものとレンズの前にあるものという二つの現実がせめぎ合った瞬間から、物語は“生”と“死”のあわいで前進し始める。死んだと思われた人間があっけなく姿を現したり、その逆のことが起こったり。聞こえないはずの声が聞こえ、見えないはずのものが見える。ジャンはそれに翻弄されるが、彼ももまたすでにその時点ではあわいの世界に足を踏み入れてしまっているのであって、逃げ場はどこにもない。

きわめて黒沢清的主題がそこでは展開されているわけだが、それでも美的スタイルにとらわれた不自由さはない。日本のようにしか見えないファースト・ショット以降、どこでもない世界の物語が、誰のものでもないカメラによって記録されているような、不思議な印象を残す。

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公開情報

© FILM-IN-EVOLUTION - LES PRODUCTIONS BALTHAZAR - FRAKAS PRODUCTIONS – LFDLPA Japan Film Partners - ARTE France Cinéma

10月15日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開!
公式サイト:www.bitters.co.jp/dagereo
Facebook:www.facebook.com/dagereo/
Twitter :@dagereo_movie