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目の前に広がるもの

池谷薫『ルンタ』

文=

updated 07.16.2015

正直なところチベットといえば、「“意識の高いハリウッド・セレブ”がダライ・ラマを支持し、チャリティ・コンサートを開催しているアレね」という認識以上のものを持っていなかった。「大国に近接して存在してしまった“不運な国”だけど、巧みなメディア戦略によって“おしゃれ”アイテムのひとつになることができたのはスゴイね」、くらいなものだ。

一方、“焼身”と聞いて最初に浮上するイメージの中心にはヴェトナム戦争中の僧侶の写真があって、多数の犠牲者を生み出す“自爆テロ”に比べ、直接的な迷惑度が低いために、現在進行形の問題として意識の表層に浮上することがあまりなかった。

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チベットにおける“焼身抗議”を真正面から取り上げ、その行為が発信しようとしているメッセージをわれわれに届けようというストレートな意志によって作り上げられたこのドキュメンタリー作品は、上述のような浅い認識と薄い知識を完全に覆す。

この映画は、80年代にチベット亡命政府の専属建築士としてダラムサラに移住し、様々な活動に身を投じながら、2009年からは“焼身者”ひとりひとりに関して知りうる限り詳細な情報を日本語で伝え続けている中原一博という人物を通して語られる。

今年3月までの間に141名が“焼身”していたといういわば歴史的事実以上に、中にはたとえば市場のトイレのようなところでひっそりと身に火を放った者もいること、その年齢や性差はさまざまであり17歳の女子や写真だけを見るとある種“今風”にすら感じられる若者なども含まれること、そして“焼身”に際してダライ・ラマの名を召喚する者が多いことといった、中原の集めてきた細かな情報には胸を衝かれる。

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なぜならこうした細かな事実によって、ひとりひとりの“焼身”が、すべて“抗議抗議”というたったひとつの意味づけの中に包含されるとは限らないのではないかという可能性が、突然われわれの目の前に開かれるのだから。映画の中でそういう主旨のことが語られるわけではけっしてない。ただ、この映画を見ているとふとそのことに思い至る。
政治的抗議活動としての“焼身抗議”ならば、まだしもわれわれにとっては安全なものではないか。われわれは端的にいって中国国民ではないし、その意味でチベットに悪をなしておらず、犯しうる罪といっては彼らの“抗議”を積極的に支援していないということだけになる。懐に余裕がありまくる“ハリウッド・セレブ”たちがそうしてきたようには。

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だがひとたびそれが政治的抗議活動の枠組みをはみ出てしまうと、それは“自殺”でもあるし、ということは周囲の人間への暴力でもあるし、特に最も近くにいる人々や己の愛を捧げた相手(たとえばダライ・ラマという存在)への暴力ということになる。であるとすれば、そうした暴力を選択せざるを得なかった彼らにとって、やはりその行動は究極の“抗議”だったとしか考えられないではないか。

そう考えるとき、“抗議”の射程は一挙に拡がる。もはや“ハリウッド・セレブ”のファッションでも“かわいそうだけど関係ない人たちの不幸”でもなくなり、われわれ自身の問題が目の前に立ち上がるのである。

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