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空っぽの不安

カルロス・ベルムト『マジカル・ガール』

文=

updated 03.09.2016

空っぽなものほど人を不安にさせるものはない。われわれのまわりには空っぽなものがあふれかえっているが、それを埋めようとはしないことでどうにかこうにか日常生活を送れている。“謎”と呼び変えることもできるが、“真空”という方が近い。視線をほんのわずかだけ長すぎる時間留めおいたり、ふと気の緩んだ瞬間に意識を向けてしまったりすると、たちまちその“真空”はわれわれの内側にあるものを吸い出してしまい、われわれの中は空っぽな器だけが残る。いやむしろ、そこはもともと空っぽだったのだろう。だから空っぽはわれわれを不安にさせるのだ。

その不安がこの映画の動力源となっている。時間が経過するほどに構成の精緻さが明らかとなり、映画全体が精密機械そのものであることが明らかになる。機械が駆動することで、バラバラだったパズルの破片があるべき場所を見いだし、登場人物たちが繋がり合い、時制が整えられ、かろうじて俯瞰視点が獲得される。その駆動部にある“空っぽな器”とは、繰り返しになるが、視線と想像を吸い寄せる真空であり、欲望そのものともいえる。

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この映画にちりばめられた空っぽな器をすべて数え上げてみせると、パズルが組み上がっていく様を眺める喜びを削ぐことになりかねないのでほどほどにしておくが、物語はこんな風にして“空っぽな器”を軸に展開されていく。

冒頭、教師であるダミアン(ホセ・サクリスタン)は、ひとりの女子生徒が自分についての悪意を綴ったメモを手の中に隠し持っていると確信する。彼の命令に従い、生徒が両の掌を開いてみせると、そこにはなにもない。ダミアンにとって、彼女の両手が作っていた空間は、永遠に空っぽな器となったのである。

のちにわれわれは、その女生徒が成長しバルバラ(バルバラ・レニー)という女性になったことに気づくだろう。バルバラは精神を病んでいる様子で、精神科医の夫との関係はほぼ医者と患者の関係に等しいようだ。すなわち医者=夫にとってバルバラという患者=妻は、精神分析によって埋めなければいけない空っぽな器であり、患者にとっても自分自身は“健常”な精神によって埋められるべき器であると感じている。医者の側によって規定された関係性によって、彼女はそう感じさせられているということもできるだろう。

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さて、失業中の教師であるルイス(ルイス・ベルメホ)は、シングル・ファーザーでもある。娘のアリシア(ルシア・ポジャン)は、白血病によって余命短い。ルイスにとって、死を目前にしたアリシアは、なにを充填してやればよいのかわからない器である。「タバコを吸ってみたい」だとか「ジントニックを飲んでみたい」だとか漏らす娘の小さな欲望はかなえてやれるが、それが彼女を充たしつくすほどのものでないことはわかっている。いや正確には、その程度のことでは、ルイスの気が済まないということしかわれわれにはわからない。やがてルイスは、アリシアが夢中になっている『魔法少女ユキコ』の衣装であれば、アリシアの虚ろな内面を充たすことができるに違いないと確信する。

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バルバラは、ある理由から大金を作らなければならなくなる。かつての“仕事仲間”に連絡をとり、ある“サーヴィス”の提供を申し出、対価の交渉をする。それがハードなSMプレイを含む売春の一形態であることはわかるのだが、具体的に何がおこなわれているのか、われわれにはわからない。バルバラは、ある部屋の中に姿を消し、対価を獲得する。以降その部屋は、空っぽな器としてわれわれの中に巣くうことになるだろう。ちなみにこの“労働”はエスカレートし、バルバラは“究極の部屋”に足を踏み入れることになる。もちろんそこもまた、われわれにとっての真空となる。

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一方教師だったダミアンは、冒頭に示された出来事の直後に何事かをしでかしたらしく、刑期をつとめあげて出所するところである。いわばバルバラの両手という空っぽな器のために、刑務所の虚ろな空間で空虚な時間を過ごしたルイスは、バルバラによって顕在化された真空を、いまだに抱えている。そのことに十分自覚的な彼は、自らの内にある真空に脅え続けている。

ことほど左様に、空っぽな器がいたるところに埋めこまれ、それぞれが呼応し結びつき共鳴しながらも、物語は論理的に展開されてゆく。これらの真空は、欠損と呼んでもいいだろう。欠けたもの、すなわち登場人物のみならず観客からも見えないものが、一貫して物語を前進させてゆくのである。それは古典的ともいえる作劇法だが、その欠損部が観客の気を惹くテクニックとして隠されているのではなく、欠損そのものが物語であるという事実において、この映画は抜きんでている。

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ところでこの物語には、たった三つだけ、実際に充たされたように見える空っぽな器が登場する。すべて“経済的取引”にかかわるものである。

ひとつめは、アニメという二次元のキャラクターが着ている衣装を三次元化した商品。いわば実体のないもの包み込む衣装という空っぽな器への対価だけが、なんらの躊躇も疑いもなく支払われるのである。“実際の価値”というものが存在するとして、それとは無関係に対価が設定されるのが資本主義の原理であるとすれば、その資本主義のメカニズムによって、人間は虚ろなもののまわりで虚ろな機械として虚ろに蠢き続けている、というお話にもなるだろう。

しかも取り引きの際には、“憲法の本”という「誰も読まない」本が金銭受け渡しの媒体として用いられる。スペインという空間を法的に支える基本法を収めていながら誰にも顧みられない本が、空っぽなものの対価で充たされるという皮肉と解釈するならば、スペインそのものがすでに虚ろな器と化しているとも読めるだろう。もしそうだとすれば、フランコ政権崩壊直後のスペインを舞台にした『マーシュ・ランド』(14)と合わせて読み解いてみるのが正しいのかもしれない。

そして三つ目の充填されたものは、もちろん拳銃である。この、弾丸を充填された拳銃は、金銭による商取引として手に入れられたものではないという点を見逃してはならない。そのようにして登場したこの拳銃だけが、虚ろな機械を一時停止させる力を持つだろう。

ちなみに、冒頭とラストは相似形をなしている。それ以外にも呼応し合う対称型の細部はいたるところにある。だが、この映画が目指す完璧なシンメトリーの美しさだけに目を奪われてはならない。シンメトリーは、空っぽな器のありかを指し示している。

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公開情報

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3月12日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー!