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何事かが進行している

デイヴィッド・クローネンバーグ『マップ・トゥ・ザ・スターズ』

文=

updated 12.18.2014

「ハリウッド」には途方もない金が流れ込み、それにふさわしい大きさにまで肥大した人間の欲望が剥き出しに蠢いている。想像を絶する快楽が追求されていて、「ハリウッド」という社会に生きる者の倫理は隅々までさかしまである。底ぬけに凄惨な出来事が茶飲み話として語られ、他人の不幸が我が身の幸福そのものとなる。それがわれわれの抱く「ハリウッド」の「影」にまつわるイメージだろう。

この映画でもだいたいそれを裏切らない連中の姿が描かれてゆく。というよりも当初は、ハリウッドのハイプな文化/生態をシニカルに描いた作品のようだ、ということしかわからない。

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いわくありげな少女アガサ(ミア・ワシコウスカ)が、田舎からLAに降り立ち、脚本を書きながらオーディションを受け続けている俳優の卵ジェローム(ロバート・パティンソン)の運転するリムジンに乗る。ヴェテラン女優ハヴァナ(ジュリアン・ムーア)は、死んだ母親(かつてのスター)の亡霊(サラ・ガドン)に悩まされ、そのためにスタッフォード(ジョン・キューザック)のうさんくさいセラピーを受けている。目下彼女をキリキリ舞いさせている焦燥は、母親クラリスが生前主演したカルト映画がリメイクされるというのに、そのヒロイン役を逃すのではないかという予感である。一方、スタッフォードの息子ベンジー(エヴァン・バード)は子役スターとして成功しているが、薬物依存によって業界追放ギリギリの立場にある。母親クリスティーナ(オリヴィア・ウィリアムズ)は、それを半狂乱になって支えている。アガサとジェローム以外の全員が、バラバラに砕け散る瀬戸際に見える。

そんな具合に、最初のうちはそれぞれの間の連関が示されることなく、ほとんどブツ切りのようにして各登場人物のエピソードが提示されてゆく。あたりまえのように幽霊が出現するが、見ている人間の幻覚でないという確信は持てない。ところが、アガサが口にする詩の断片のようなものを、まだ出会っていないはずのベンジーが読んでいたりもする。ハヴァナは、友人キャリー・フィッシャーに紹介され、アガサを個人秘書として雇い入れる。アガサの身体に残る醜い火傷痕と、母親クラリスが70年代に焼死していることとの間に運命的なつながりを見いだしたのだ。

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これらの符号は、いったいどういうことなのか。ハリウッドという呪われた土地が惹き寄せる薄気味の悪い偶然ということなのか? まさか。いずれにせよ、目の前に見えていることを遥かに超えた不穏な事態が進行しているという感覚だけが、われわれの中につのってゆく。

スターの人気取り行動として、ベンジーが不治の病に冒された少女を見舞い不誠実な約束をしたり、その後間もなくして死んだ少女の亡霊に取り憑かれたり、新作の製作陣によって薬物依存状況について「尋問」されてゲロを吐いたり、はたまた、向精神薬などの副作用による便秘に苦しむハヴァナが屁をこきまくったり醜く喚き散らしたり、というような場面ならば、内幕暴露的な風刺作品の範疇に十分収まるだろう。だが、それだけでは済まない。この映画では、他人事として笑っていられない何事かが起こっている。

物語の次元でいえばもちろん、最初からぶっ壊れた家族のお話にちがいない。それがどのくらい壊れているのかは、ラストに近づいたところで明らかにされるだろう。ところが実のところ、ここで展開されているのは、単なる倒錯社会における特殊な家族論ではない。ギリシャ悲劇でもなければ精神分析的社会批評でもないようなのだ。

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『コズモポリス』(12)では幻の通貨「元」として現れ、主人公にあらかじめ内在していた破綻を顕在化させたものが、この作品では登場人物たちを脅かす幻覚/幽霊/妄想/パラノイアとして出現し、起源そのものから倒錯していた家族として結実しているのである。そして家族というのは社会のことであって、われわれが住まうこの社会は、主人公たちの生きている底なし地獄と相似形をなしている。われわれの生を支える超越的な原理などなにひとつなく、社会の外枠を形作っていたはずのものははなからぶっ壊れきっていたという乾いた認識。それは、破滅の果てにある種の救いをもたらしもするだろう。それがこの映画のラストに訪れる美しさを帯びた解放感なのだ。

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公開情報

(C) 2014 Starmaps Productions Inc./Integral Film GmbH
12月20日 新宿武蔵野館他全国ロードショー
配給:プレシディオ