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言語化され得ない風景

パトリシオ・グスマン
『光のノスタルジア』+『真珠のボタン』

文=

updated 10.08.2015

チリ出身のドキュメンタリー作家、パトリシオ・グスマンによる2010年のドキュメンタリー作品『光のノスタルジア』と、2015年の作品『真珠のボタン』を、成立年とは逆の順序で見た。

『真珠のボタン』は、水晶の中に閉じこめられた一滴の水の映像から幕を開く。それが海の水につながり、太陽系のほかの惑星を満たしているかもしれない水の存在が喚起されたかと思えば、チリという南北に細長い国の7万4千キロにおよぶ海岸線に生きていた人類、とくにパタゴニア先住民と呼ばれる人々の記憶が立ち上がる。

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『真珠のボタン』より

それはヨーロッパ人植民者による血塗られた行為の記憶そのものであるわけだが、海底で発見されたひとつのボタンから、より近年の、現代チリに流れる時間がいまだそこから完全に離脱することのできていない虐殺の記憶が再生される。すなわち、1970年から90 まで続いたピノチェト軍事独裁政権による、“政治犯”の組織的な殺戮である。

民政移管してからのチリにおいては、ちょうど1950〜60年代の西ドイツがそうであったように、ピノチェト時代の記憶は掘り起こされることなく、犯罪が訴追されないまま社会生活が続けられているのだという。虐殺に荷担した人々と、家族を虐殺された人々が、同じ空間に生きている。

海底で発見されたボタンは、軍事政権によって殺され、針金で線路に結びつけられた上で海中に投棄された人々によって遺された痕跡だった。肉体もなにもかも腐敗し海の水と一体化してしまってもなお、かろうじて残った数個のボタン——そしてボタンはまた、1830年、ダーウィンの同乗していたビーグル号によってイギリスに連れ去られたひとりの先住民の少年、のちに国王に謁見できるほどに“文明化”されジェミー・ボタンの記憶をも呼び起こす。

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『光のノスタルジア』より

一方『光のノスタルジア』では、地球上で最も乾いた場所として知られる広大なアタカマ砂漠を起点としてビッグバンにまで視線が伸び、はるか過去の光から宇宙の記憶を観察し続ける天文学者の仕事と、小さなスコップを片手に広大な砂漠の地面を掘り起こし続ける女性たちの姿とが、いつのまにか重なり合ってゆくという映画である。彼女たちは、軍事政権時代に殺害され砂漠に投棄された家族の遺体を探し続けている。

数十万年前の光を受け取る天文学者たちの天文台があるアタカマ砂漠は、地球そのものの過去を探り続ける地理学者や古生物学者、また、2000年前の人類が遺した遺跡を研究する考古学者といった人々が、はるかな時を越えた思考を巡らせる場所であると同時に、ほんの数十年前の出来事であるにもかかわらず失われてしまった記憶の結晶を求める女性たちが、老いた四肢だけの力によって気の遠くなるような広大な空間を少しずつ掘り返す場所でもあるのだ。

それぞれの作品が、それだけで優に一本のドキュメンタリーを構成しうる題材がいくつもいつくも投入されている。だがグスマンは、それぞれの事象をそれだけのものとは捉えない。宇宙の発生と人類の誕生は当然のことながら無関係ではないし、ヨーロッパ人による先住民の殺戮とピノチェトの虐殺は無関係ではない。政治的な意味で無関係ではないというのではなく、この映画の思考法を借りるのなら、死んだ人間の身体を構成していた分子は、その肉体が滅びバラバラになったあとたとえば動植物を構成し、それからまた別の人間の身体を構成する一部分となるという、根源的な意味で無関係ではないのだ。

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『光のノスタルジア』より

それゆえに、グスマンにとってのドキュメンタリーとは、ただ告発するための道具でもなければ、記録するための媒体でもない。それはなによりもまず、言語化され得ないものを映像によって伝える形式である。

単純な告発や記録と化したとたん、内容のすべては言語化できるものとなる。そして言語化の過程は、否応なく現実をあるかたちの中に押し込める。言語そのものが持つ構造的な力によって、言語化され得ないものはなにか別の貧しいものとなる。結果として真実以外のもの、偽りや誤りが混ざり込むこともあるだろう。

この二本のドキュメンタリーは、われわれの想像力や連想力を極限まで振幅させることで個々の事象から解き放つことで、個々の事象をかつて経験したこのがなかったくらいの近さの中で捉えなおさせる。特殊と普遍、ミクロとマクロを直結させるといってしまうとあまりに簡単なのだが、その眩暈がするような感覚によってのみ見えてくる風景と体験が、ここにはある。

公開情報

『光のノスタルジア』
(c) Atacama Productions (Francia), Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010

『真珠のボタン』
(C) Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015

10/10(土)より岩波ホールにてロードショー、以下全国順次公開