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悪辣な心理戦

ハニ・アブ・アサド『オマールの壁』

文=

updated 04.11.2016

スタッフやキャスト、資金から撮影にいたるまで「100%パレスチナ映画」なのだという。だがなによりもこの作品は、映画として面白い。悪の所在が常に移り変わってゆく緻密な心理サスペンスでもあるし、甘さが突如苦さに転換する痛々しい青春ものでもあるし、俳優たちの身体がしなやかに躍動するアクション映画でもあるし、無辜から悪へと曖昧な境界をいつのまにか踏み越えてゆくという意味ではノワールでもあるだろう。実際、「パレスチナ問題」を扱いながらこういうふうに面白くて叱られないのかと、余計な心配までしたくなる。

ヨルダン河西岸地区に住む主人公オマール(アダム・バクリ)は、幼なじみのタレク(エヤド・ホーラーニ)、アムジャド(サメール・ビシャラット)と共に、イスラエル軍襲撃計画を練っている。練っているといっても、ふざけ合いながらおしゃべりをしている彼らの姿は、たとえば東京で同じ世代の連中がバンド結成について、自分たち自身がどこまで本気で信じているのかわからないまま語り合っている様子と、大して変わらない。『パラダイス・ナウ』(05)でも見た光景だ。

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オマールの身体は軽く、ふたりに会いに行くときはパレスチナ自治区を分断する「分離壁」をロープ一本でよじ登り、ひらりと向こう側に着地するというのがいつものコースらしい。その身軽さはもちろん浮き立つ心の表れでもあって、彼はタレクの妹ナディア(リーム・リューバニ)との恋愛を密かにはぐくんでもいる。オマールは壁を越え、塀から屋根へと伝い渡りつづける。街路、塀、住宅といった街の構成要素が形作る既存の構造を無効化する彼の身体は、青春映画の全能感に包まれた主人公にふさわしい。

ある日オマールは、イスラエル兵の気まぐれによって屈辱を受ける。怒りに駆られ、たわむれのように夢想していた襲撃計画を実行に移すことに決め、検問所のイスラエル兵たちに銃弾を撃ち込む。綿密な段取りなどなく、これまた郊外のモールで集団万引きをするくらいの軽さで実行されているように見える。だがその結果、オマールはイスラエルの秘密警察に拘束される。拷問に耐え、口を閉ざし続ける彼だが、秘密警察のしかけたある罠にはまり、疑心暗鬼の悪辣な心理戦へと引きずり込まれることになる。

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表層では、家族や恋人の安全と引き替えに仲間を売れという脅迫がなされるわけだが、時間差で起動するウィルスのような悪意の仕掛けが幾重にも張り巡らされている。協力しているふり、それに乗っているふり、それを利用して反転攻勢を企てる仲間、仲間を守るためにつかれるウソ、あるいは恋人の名誉を守るためのウソ、などなどが少しずつ、だが確実にオマールを締め上げてゆく。仲間同士が憎しみを向け合い、裏切り者の所在を血眼で探すことがすなわち秘密警察の側の狙いでしかないという状況の中、だれ一人信用できないという場所に、最終的にはひとり立ち尽くすことになるだろう。

オマールの手も、血に染まる。もはや境界をこちらからあちらへ、あちらからこちらへと身軽に渡ることもできなくなったオマールは、それでも考え得る限り最善の選択をする。そしてそれもまた悪意の仕掛けの結果でしかなかったことを、彼は知ることになる。omar_sub001

大義を追求するレジスタンスの正義が、必然の中で悪の上に重なっているという風景は、ただちにジャン=ピエール・メルヴィルの『影の軍隊』(69)を思い出させるが、この作品の方は、『影の軍隊』でスケッチされていた物語のひとつの細部を極限まで拡大し、そこで駆動している悪意のメカニズムを精密に解析してみせた、というようにも感じられた。

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いずれにせよ、ここで描かれる人間心理の悪循環は、われわれの日常とも無縁ではない。秘密警察の用いる悪意の装置は、あらゆる人間集団に有効であると感じさせるという点においても、この映画は優れている。

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公開情報

©2016年4月16日(土)角川シネマ新宿、渋谷アップリンクほか全国順次公開
配給・宣伝:アップリンク