RAMS_main

奇異、ではない

グリームル・ハゥコーナルソン『ひつじ村の兄弟』

文=

updated 12.16.2015

ゆるやかにうねるようにつらなる草原の起伏が、見渡すかぎりどこまでも広がっている。その中で、すこしだけ黒ずんだシミのようになっているところがある。それが主人公たちの住む村で、人々の生活は羊によって支えられ、すべてが羊を中心に動いている。ここがアイスランドであることは、教えられなければわかるはずもないが、そう知らされてみると深く腑に落ちもする。

羊の品評会が開かれている。今年はキディー(テオドル・ユーリウソン)の育てた羊が優賞した。弟のグミー(シグルヅル・シグルヨンソン)は僅差で破れ、それがくやしくてならない。もちろん映画を見ているわれわれからすれば、二頭の羊もほとんど区別がつかないし、豊かな髭をもこもことたくわえた二人からして、もう羊そのもののようにしか見えない。

RAMS_sub1

実のところ二人は兄弟で、かれこれ40年間口を聞いていないらしい。隣合わせに住んでいて、牧羊地も隣接している。ということは育てているの羊も、先祖代々受け継いできた同じ血筋の末裔であるにもかかわらず、あらゆる面で疎み合っているふたりは、どうしても必要な時には牧羊犬に手紙を運ばせるという方法以外でコミュニケーションをとらない。

ところがある日、キディーの羊が「スクレイピー」と呼ばれる疫病に感染していることが発覚する。獣医にも発見できなかった兆候に気づいたのは、グミーだった。結果として村の羊は全頭殺処分されることになり、それがまた兄弟の溝をこれまでになく深くする。しかしながらグミーは密かにその処分を逃れ、一部の羊たちを地下室に隠すことに成功していた。そこから、うっすらとしたサスペンスがじんわりと生じる。

という具合にあらすじを書き付けていっても、実のところあまり意味がない。といって、映像の力一点張りで物語に重きを置かない種類の映画でもない。むしろ上述のようなお話が明快に語られていき、不必要な思わせぶりはどこにもない。村での生活や、主人公たちと羊たちとの関係がことさらに奇異でおもしろ可笑しいものとして語られているわけでもない。

RAMS_sub3

ただ、明らかにわれわれの生活とは異なったルールに従って機能している現実があって、その中では羊がもっとも大切なもので、人はそれによって内面すら完全に破壊されうるのだという、新しい事実が目の前で展開されていくのを見るおもしろさがある。

そしてそれは、まったく見たことがないものに接したというより、たとえ表面に見えるのがもこもこの羊やら視界を完全に遮る豪雪やら戸外で泥酔すると命取りになりかねない極寒ぶりとか楽しそうに駆け回る牧羊犬といったわれわれの日常生活から遠いものたちであっても、根本にある感情の動きそのものは、われわれの理解を超えるものではないという感覚によって補強される。当初あれだけ不透明な登場人物たちに見えた主人公のふたりとわれわれのエモーションは、いつのまにか同期しているのだ。

とにもかくにもモチーフ選択の勝利だし、そのモチーフを映画的な意味で生真面目に誠実に取り扱ったのが良かった。これが最初から“一風変わった舞台で展開されるジャンルもの”を目指していたとしたら、それはそれでおもしろそうではあるものの、“ちょっと変わった映画”以上の存在感を獲得するのは難しかっただろう。

RAMS_sub2

公開情報

(C)2015 Netop Films, Hark Kvikmyndagerd, Profile Pictures
12月19日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
公式サイト: ramram.espace-sarou.com
公式FB: https://www.facebook.com/hitsujibros
公式Twitter: https://twitter.com/hitsuji_bros
配給・宣伝: エスパース・サロウ
提供: ギャガ、新日本映画社