『幸せをつかã?歌ã€

ロックは鳴り続ける

ジョナサン・デミ『幸せをつかむ歌』

文=

updated 03.03.2016

『レイチェルの結婚』(08)でも、結婚式の準備を進める家の中でいつもだれかが音楽を奏でていた。遠くに近くに楽器の音色が聞こえているが、やがてあるとき、花婿、花嫁、ヒロイン、結婚式の招待客といった登場人物たちのみならず、観客であるわれわれをも含めた全員の感情が歌のかたちで結実し、前景化する。かぎりなく通俗的な音楽の用法でもあるし、それが故にわれわれを深く動揺させる瞬間でもあった。個人的な趣味の侵出でもなく、単なる作劇の一要素や強化剤ではない音楽のありかただった。

Greg (Rick Springfield) and Ricki (Meryl Streep perform with the Flash at the Salt Well in TriStar Pictures' RICKI AND THE FLASH.

あたりまえのことだが、デミにおける音楽のありかたは、デミにとっての映画のありかたに重なっている。自我が露出しすぎていない以上単なる“映画マニア”ではないし、職人と言い切るほど“お仕事”と自身とが切り離されてはいないように見える。簡単にいってしまえば、一本ごとに映画が完全に自律したまま機能しているということなのだが、これはそう簡単なことではない。

さてこの新作だが、デミのフィルモグラフィーでいえば、音楽とドラマがじかにつながることで展開するという意味で、『レイチェルの結婚』と同じ系譜に入る。もちろん『レイチェルの結婚』同様、音楽に依存しているということではない。観客の側が、劇中奏でられる楽曲に思い入れをもたなくても、ドラマは機能する。

原題は『Ricki and the Flash』という。ヒロインであるリッキー(メリル・ストリープ)とそのバンドの名前である。リッキーは、三人の子どもをもうけたあと、ロック・ミュージシャンになるという“夢を追って”出奔した。80年代末のことだっただろうと想像できる。それから時が経ち、いま彼女は場末のバーのハウス・バンドとして歌いながら、スーパーのレジ打ちとして生活している。ある日元夫ピート(ケヴィン・クライン)からの電話を取る。娘のジュリー(メイミー・ガマー)が夫に裏切られ、自暴自棄の日々を送っているのだという。リッキーは、かつて家族と暮らしたインディアナポリスへと向かう。

Ricki (Meryl Streep) says bye to Julie (Mamie Gummer) in TriStar Pictures' RICKI AND THE FLASH.

それは、彼女自身の“罪”と直面する旅にもなるだろう。もしくは、手にしていたかも知れないもうひとつの“現在”を認識する旅。つまり、現時点での自分自身を、どのように受け入れるのかということについての検証でもある。家族を捨て、アルバムを一枚リリースし、ザ・フラッシュという揺るぎない仲間とともに、小さくても毎晩歌うことのできる場所を獲得し、数は少なくても常連客という意味でのファンもいる。だが歌っているのは他人の“名曲”ばかりだし、いわゆるロック・スターにはほど遠い。これからもなることは、おそらくないだろう。その“現在”が、引き替えに手放したものと釣り合っているのかどうか、ということだ。

実際、時代錯誤的なロック・ミュージシャンぶりをファッションにも言動にも体現しているリッキーは、現実から目を逸らすため、スタイルの中に逃げ込んでいるようにも見える。子どもたちへの罪悪感が表出しないわけでもなく、自分のものだったかもしれないもうひとつの“現在”を前にして揺れ動く。

だが、音楽との関係についてだけは、決して後悔や再検討の俎上にのることがない。その揺るぎなさだけが、幼少期に母の愛を失い、いままた夫の愛を失い、自己否定に揺れまくっている娘にとっての支点にはなりうるということなのだろう。

Ricki (Meryl Streep) in TriStar Pictures' RICKI AND THE FLASH.

そういうわけで、“おかたい上流社会”に乗り込んだ“下品であけっぴろげ”なキャラクターが波紋を起こしながら、周囲の人間たちの心を溶かしてゆくという種類のお話かと当初は見えるのだが、そうはならない。最初から最後まで、リッキーという中年期を過ぎ、老年期に入りつつあるひとりの女性が、人生との真の折り合いをつけるという物語なのだ。なにしろ、彼女が折り合いをつけないことには、子どもたちにもつけようがない。ただし、折り合いをつけるといっても、なにかをあきらめ、今の自分で満足できるように自分の気持ちを持っていくという話ではない。

だれの人生にも、「あのときあっちに行ってたら、今ごろどうなってたんだろう」と考えさせられる分岐点がいくつかある。だが、結局のところ過去というものは、過去に思いを巡らせたその瞬間、遡及的に構成されるものでしかない。実際の分岐は分岐点のはるか前にあるもので、リッキーの場合それは、おそらく自分とは正反対のようなピートという男と結婚するよりもさらに前の時点にまで遡るのだろう。

とはいえ、そのことが彼女自身とその家族の中で揺るぎない事実となるには、この映画で描かれる物語の時間が必要とされたということなのだ。だから、「良い音楽はひとを幸せにする」という話ではない。「夢は追い求めるべき」だとか「そうではない」という話でもない。それは人を幸せにも不幸にもする。幼かった子どもたちにとっては迷惑きわまりないものだし、ある意味リッキーにとってもそうだろう。

そういう意味で、幸不幸をはるかに超えた次元で全員の人生を規定してしまっている。それはもう仕方のないことなのだ。その事実を認識できたとき、この映画の主人公たちは、本当の意味で人生との折り合いをつけることができるだろう。だからこそその間中ロックは響き続けてきたし、これからも鳴り続けるのである。

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2016年3月5日(土)、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開