『M★A★S★H マッシュ』(70)をはじめて見たのは、TV放映版だった。吹き替えられていただけでなく短縮されていたに違いないわけだが、その冷ややかに尖った笑いの毒は、ようやく思春期の終わりにさしかかっていた高校生をすっかり熱狂させたものだった。
ちょうど同じ頃にジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』を愛読していたこともあって、いわば“戦争”と“笑い”のウィルスに全身を冒されていた時期でもあった。そこから遡ること数年、中学時代にすでに神経の奥深くに感染していた『地獄の黙示録』(79)のウィルスと、それに導かれるかたちで出会っていた開高健の『輝ける闇』をはじめとするヴェトナム戦争ものの菌が体内で苗床のようなものを作っていたところに侵入したものでもあった。
もちろん、その症状をそのまま共有できるクラスメイトは学校にひとりもいなかった。ひとりだけアメリカからの帰国子女が、TVシリーズの『マッシュ』について口にしたが、TV版ならどうせ映画と無関係なクズだろうと思っただけだった。1986年くらいのことだ。かくて、『M★A★S★H』は高校生にとって秘教のようなものとなった。多くの人にとってそういう作品だったということはだいぶ後になって知り、その時には少しだけがっかりしたものだ。
ついつい余計な記憶が引きずり出されてしまったが、ひとによっては『ナッシュビル』(75)や『三人の女』(77)が秘教なのだろうし、もっと若い世代なら『ザ・プレイヤー』(92)かもしれない。あるいは、ポール・トーマス・アンダーソン『マグノリア』(99)経由でアルトマンの『ショート・カッツ』(93)に遡航し、それが秘教となっている人もいるかも知れない。いずれにせよ、それほどに多くの、秘教になりうる作品を撮り続けたのがロバート・アルトマンという監督だった。
彼のどこが特別だったのかということについては、これまでに多くの人が語り尽くしてきている。そのためなのか、このドキュメンタリー作品『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』は、映画評論的な領域にあまり深く立ち入らない。そのかわり、われわれを深く撃つアルトマン自身の言葉がさりげなくあたりまえのように登場する。「自分にはああいう風に作ることしかできなかったんだ」という意味のことを、『ポパイ』(80)という大失敗作を撮り上げ、興行的にも批評的にも惨敗を喫した後に振り返ったアルトマンが漏らすのだ。
「自分にはこれ以外の作り方はできない」というのは、すべてのアルトマン作品に当てはまる言葉なのだろう。その意味でとてつもなく誠実な、勇気ある言葉ではないか。なにしろ、“大胆不敵な反逆者”としての名声を確立していた男なのだ。その彼が、己の作風は映画作りと格闘する中で結果的に生み出されたものだったと告白しているのだから。決して反逆のための反逆ではなかった。
それで、『ザ・プレイヤー』が公開された当時、セルフ・パロディーつまり露悪のための露悪と感じて失望したことを思い出した。『M★A★S★H』にあって『ザ・プレイヤー』になかったものとは何だったのだろうか? このドキュメンタリーを見ていて、それは意外にも“愛”のようなものだったことに気づいた。大きな肯定の姿勢といってもいいかもしれない。
どちらの作品にも、冷ややかで尖った笑いはある。だが『M★A★S★H』を支えている“愛”が、『ザ・プレイヤー』にはなかった。考えてみれば最上のアルトマン映画の核には、いつでも“愛”と冷ややかさの混淆があった。いまだにただ括弧なしに愛と打ち込むことに抵抗を感じる程度には大人になりきれていない著者だが、冷ややかさや笑いと混ぜ合わせられてはじめて、“愛”=肯定の姿勢に内実が生まれると感じているのは、アルトマン映画の影響だったのかもしれない。だから、いかなる“愛”も存在しない世界を描いた『ザ・プレイヤー』は、自分にとって例外的なアルトマン作品だったのだ。
本作にはたびたびアルトマン家のホーム・ムーヴィーが登場するが、その中の一本に最晩年近いアルトマンの姿が映し出されている。彼は自宅にいて、満足そうに微笑みながら、一堂に会する一族の姿をすこしだけ離れたところから眺めている。それはまさに、“すこし距離を置いたところから群衆を眺めている”姿そのものだった。映画のクルーはおろか、物語に登場する群衆たちにも同様の視線を送っていたにちがいない、という風にこのドキュメンタリーは締めくくられる。
周知のとおり、“すこし距離を置いたところから眺める群衆劇”というのは、最も特徴的なアルトマン印のひとつである。だがそれは審美的なスタイルではなく、彼の培っていた人間との関わり方そのものの表れだったにちがいないと、このドキュメンタリーは語る。結局のところ、その基底部にはやはり“愛”があるのだと。
考えてみればあたりまえのことだが、アルトマンという人間は、その映画作品のようにこの世界を眺め、人間を観察し、人々と交わっていた。成功することもあれば失敗することもあるし、人に拒絶されたり崇拝されたりすることもあるが、彼はそのようにしか生きられなかったし、作れなかった。困難な時期の連続のようにも見えるが、多くの人の秘教となりうる作品をこれほどの数残していった。これほどに勇気を与えられる事実もないではないか。
一見入門者向けの敢えて軽く作られたドキュメンタリーのように感じられるが、この作品を見て、改めてそんなことを考えさせられた。
公開情報
© 2014 sphinxproductions
10月3日(土)YEBISU GARDEN CINEMAほかにて全国順次公開!
配給: ビターズ・エンド
公式サイト: http://bitters.co.jp/altman