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“リアル”感という作風

デイヴィッド・エアー『サボタージュ』

文=

updated 11.06.2014

『エクスペンダブルズ』シリーズというよりも、シルヴェスター・スタローンと共演した『大脱出』(14)を見ていて、「シュワちゃんもいつのまにかアブラが抜けてイイ顔になったなあ」と感じたものだったが、この映画のシュワルツェネッガーもその路線である。とはいえ、『大脱出』でもそうだったが、もちろん筋肉の量が減っているわけでも、弱い普通の人間になったわけでもない。

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主人公のジョン・ウォートン(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、麻薬取締局の特殊部隊を率いる伝説的な取締官である。潜入捜査や銃撃戦のスペシャリストである部下たちは、犯罪者そのものにしか見えない荒くれ者たちで、ジョンはさながら猛獣使いのように彼らをまとめ上げている。

そんな彼らがあるとき、押収したカルテルの闇資金から1000万ドルを横領するという計画を実行に移すのだが、一時保管した札束の回収地点に向かうと、金は忽然と消えている。そこからすべてのバランスが崩れ始める。隊員が一人また一人と殺害されてゆき、疑心暗鬼と恐怖が隊員同士の結束をバラバラにほどいてゆく。当初、殺害の犯人は金の持ち主であったカルテルの送り込んだ刺客たちの仕業と思われるが、やがてその推測も覆されることになる。

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ところでこの作品の監督、デイヴィッド・エアーの名をどこで見たのかと思ったら、まずはアントワン・フークワ『トレーニング・デイ』(01)の脚本を書いた男だった。周知の通り、デンゼル・ワシントンが“悪役”を演じることでも話題になった“リアルなLAノワールもの”だった。監督デビュー作は、クリスチャン・ベイル主演の『バッド・タイム』(05)。これまた、ドラッグ密輸に手をのばすアフガニスタンからの帰還兵のお話というクライム・アクションで、その後、ジェイムズ・エルロイ御大が脚本に加わり主演にキアヌ・リーヴスを迎えた『フェイクシティ ある男のルール』(08)も監督している。要するにある程度“リアル”なクライム・アクション/ノワールの作り手ということになるだろう。  どの監督作も、タイトに仕上がっていて、どこといって大きな欠陥は見当たらない。というよりもむしろ、わりと楽しめてある程度以上の満足感を与える作品ばかりだった。にもかかわらず、不思議と記憶に薄い。そこで、最近作は何だったのかと調べてみると、『エンド・オブ・ウォッチ』(13)。これは、ジェイク・ギレンホール主演のフェイク・ドキュメンタリー・スタイルの映画で、脚本レベルでも演出レベルでも薄っぺらで、お世辞にも成功しているとは言い難かった。当然、予算規模も極小だったのだろう。

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しかしながら、シュワルツェネッガーはこの『エンド・オブ・ウォッチ』を四回も見たのだという。なるほど、そう言われてみると、『エンド・オブ〜』でやりきれなかったことを、十分な予算と贅沢なキャストの肉体を用いてもう一度作り直しているといった感はある。いや、というよりも、デイヴィッド・エアーの作品における“リアル”感というのは、シュワルツェネッガー的な、いわゆるベタなスターの肉体によって、はじめて機能するもの、ということなのだろう。なにしろ、手下の中にはテレンス・ハワードまでがいるのだが、見事に「手下」にしか見えないのだ。

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そういうわけで、この映画もまたキッチリと“リアル”感を持った、楽しめるクライム・アクションとして成立している。しかもアクションだけでなく、ちょっとしたミステリー的仕掛けもあるし、「常軌を逸した男の執念」というノワール的な内面がカギともなっている。つまり、徹底的に内面を持たないアクション・スターだったシュワルツェネッガーが、とうとうノワール的な結構によって内面を備えようとしたということにもなるのだろう。そのための外枠としては、むしろ『エンド・オブ〜』にわかりやすく顕れていたような、ベタなスターなしではペラペラでしかないエアーの作風が持つ“リアル感”をひとまず必要としていたのだと考えると、シュワちゃんの目の付け所は間違っていなかった。

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公開情報

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11月7日(金)より TOHOシネマズみゆき座ほか全国ロードショー