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大きな悪と小さな悪

ドゥニ・ヴィルヌーヴ『ボーダーライン』

文=

updated 04.08.2016

果てしもない砂漠を何日も走り続けた後でエル・パソに辿り着くと、ようやく都会に戻ってきたとは感じるのだが、ダウンタウンは寂れて活気がないし、ビジネス・センター風の一角もあっというまに終わってしまう。都市としての重量感はあるのに、「エル・パソ」という数多の物語で親しんできた神話的な街の名がなければなんともつかみ所がない。

ところが町外れの高台から眺めてみると、リオ・グランデの向こう側に広大な街区が見える。それが、メキシコ側の大都市フアレスの北端だったというわけだ。なるほど、エル・パソというのは文字通り水面に突き出た氷山の一角であって、その下に広がる圧倒的な質量を持ったフアレスの存在こそが、エル・パソという都市の持つ奇妙な存在感と磁力を生成しているのだと、そのときにわかった。

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フアレスというのは、もちろん今や「世界で最も危険な街」のひとつである。伝え聞く情報や物語によれば、人がいとも簡単に殺されるのみならず、日夜楽しみや戯れのために凄惨な殺戮が行われているらしい。国境地帯の緊張感や、南側の貧しさを観光して帰ってくるというのは楽しくないことではないし、これまでも何度か国境線の別の場所でやってきたことでもあるが、フアレスだけはシャレにならない。

マスメディアの洗脳といわれようが、すくなくとも現地を知り尽くした案内人もなしに足を踏み入れるのはヤバイし、そもそもオレたちはジャーナリストですらないんだから。などと軽口を叩きながら車を転がしていたら、道を間違えてそのまま国境の検問所へとまっしぐらに進んでいることに気づいた。交通量はさほど多くないし、これはバックで逃げ去るしかないか、いや、検問所でいきなりバックやらUターンをキメるなんて、やましいことがありますと言っているようなもんじゃないかとあおざめた瞬間、待避用車線が見つかり、無事に国境を後にすることができた、というアホな経験を数年前にしたことがある。

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この映画『ボーダーライン』でも、フアレスは完全なる「地獄の街」として描かれている。映画表現の次元でいえば、完全にバグダッドやモガディシオといった街と同等の扱いだ。

前半で、カルテル幹部の弟とされる人物の身柄を受け取るために、主人公ケイト(エミリー・ブラント)を含むチームが国境を越えるのだが(彼らの通り抜ける検問所が、まさに数年前Uターンをかました場所だったように見えた)、その先に広がるのは、高速道路の高架には死体がぶら下がり、協力者として警護にあたっているはずのメキシコ連邦警察はどれだけ買収されているかわからず、街路ですれ違うありとあらゆる自家用車にカルテル側の送り込んだ「刺客」の潜んでいる可能性があるという、「戦闘地帯」そのものだった。一行は全速力で街を走り抜け、最小限の時間をかけてまた国境の北側に戻ろうとするが、それでも非常事態が発生する。

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国境の南側を徹底して「蛮族の街」扱いすることへのうっすらとした違和感は残るものの、このあたりの緊迫した展開の演出は見事だった。しかも、その違和感こそが物語の核を形成してゆくことに、われわれはすぐに気づかされることになる。

主人公ケイトはFBI捜査官で、アリゾナ州のトゥーソン近辺で麻薬カルテルがらみの事件に従事している。たしかに地図上では、トゥーソンもかなり国境地帯に近い。それでも彼女は、「現場」から離れて捜査を続けることの徒労を感じている。「こんなところにいても、根本的に悪を断つことはできない」というわけだ。

そんな矢先、麻薬カルテルを壊滅するための特別チームに招じ入れられる。リーダーは、おそらくCIAにちがいない型破りな特別捜査官マット・グレイヴァー(ジョシュ・ブローリン)。そしてその傍らには、アレハンドロ(ベニシオ・デル・トロ)と呼ばれる謎の男がいる。話す言葉からするとラテン・アメリカ人のようであるが、どんな経歴を持ちいかなる役割を背負ってこのチームの一員となっているのかはわからない。

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そういうわけで、われわれは「新人」ケイトとともに、「麻薬カルテル壊滅戦争」の最前線に身を置くことになる。それは前述のとおり戦場であって、状況によってはいつでも「超法規的」な対応が選択される。民間人の犠牲をかわまず公道上で銃撃戦はするし、もちろん拷問も一般的な手続きとして行われている。それに対してケイトは「合法的な捜査」を要求し、葛藤を抱えたまま行動を共にするが、戦場は国境を越えて彼女自身の身のまわりにまで迫ることになる。

結論からいってしまえば、冷戦以降アメリカが世界各地で手がけてきたとされているのと同じことが、「麻薬戦争」でも行われているというお話になる。つまり、アメリカにとっての「大きな悪」を押さえ込むために「より小さな悪」に手を貸すというやつだ。歴史を振り返ると、その「より小さな悪」がいつのまにか「大きな悪」と化していて、あわてて別の「より小さな悪」を見つけて育て始めるという悪循環が続いているわけだが、そこにはもうひとつ、そうした循環が続くことによって利益を得ている連中がいるという陰謀論が加わるだろう。

その部分に新しいものはないとしても、アメリカ南西部の風景を捉えた撮影は圧倒的に美しいし、現地に赴かなくても国境地帯の息詰まる緊迫感は味わえるし、一級の娯楽作品だった。

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公開情報

© 2015 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.
Photo: Richard Foreman Jr. SMPSP
4月9日(土)、角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー
配給:KADOKAWA