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隙間の時間

マイケル・ウィンターボトム『天使が消えた街』

文=

updated 09.03.2015

2007年11月、イタリア中部の古都ペルージャに留学していたイギリス人の女子学生が殺される。まもなく、彼女のルームメイトであったアメリカ人学生とその交際相手のイタリア人、そしてルームメイトの知り合いであったコートジボワール人が逮捕される。

女子学生たちの美しさや“セックスとドラッグにまみれた生活”への興味もあり、殺人事件は大きなスキャンダルとして一人歩きをはじめる。判決は二転三転し、2015年3月にはようやくイタリア最高裁においてアメリカ人被告が無罪判決結を獲得したが、真相は明らかにならないままいまだに人々の想像力をかきたてている。さもありなん。これが日本人女子学生だったとしても、おなじことが起きていただろう。規模は多少小さかったかもしれないが。

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さて、この事件を元にして作られたのが、本作である。舞台はシエナ(ペルージャからは90キロほどしか離れていない)に移され、基本的にフィクションとして構成されている。主人公は、事件を基に映画を作ろうとしている監督トーマス(ダニエル・ブリュール)。下調べのため、ローマ在住のアメリカ人女性ジャーナリストであるシモーン(ケイト・ベッキンセール)と共にシエナへやって来るところから映画は幕を開く。事件からは四年が過ぎ、被疑者であるアメリカ人女子学生の控訴審が開かれようとしている。

町には汚物にたかるハエさながら、様々なジャーナリストたちが集結している。もちろん、彼らが見ているのは“ネタ”としての事件でしかない。どれだけ刺激的でゲスなお話を紡ぎ出せるのか。ことさら露悪的に振る舞う記者や、馬券を買うようにして被疑者の家族を選び取り、彼らの側につくTVプロデューサーなどもいる。そんな連中の中で、ひとりトーマスだけがナイーヴな違和感を覚え、独自の調査をはじめるというわけだ。

ただしこの映画は、“イヤらしいマスコミ”、“世間の汚れた視線”といったものをことさら告発する調子にはならない。かといって、“真相”めいたものが人々の“欲望”や“悪意”の中に見いだされるといった抽象的な解決が採られるわけでもない。

プロデューサーたちは、ストレートでわかりやすいミステリーを求めているが、事件に触れれば触れるほど、トーマス自身が迷宮の中に彷徨い込み、抜け出る先が見えなくなってゆく。殺された女子学生の美しい亡霊に取り憑かれ、彼女の分身のようですらある留学生メラニー(カーラ・デルヴィーニュ)や、悪魔的な現地人エドアルド(ヴァレリオ・マスタンドレア)に導かれるまま、迷宮のさらに深奥へと足を踏み入れていくが、そこにあったのは彼自身の暗闇でしかない。

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誠実というか生真面目というか、いかにもマイケル・ウィンターボトムらしい文芸趣味というか、そういうものが小さな規模の中で展開される。ところが奇妙なことに、この映画を見ていると、今回の企画を実現に持ち込めないと、映画監督としてのキャリアが危うくなるという場所にいるようなのにもかかわらず、ただひたすらトーマスの立場がうらやましくなり始める。事件現場に住み着き、気ままに調査を続ける。本拠地はLAで、今回の取引相手(製作会社)はロンドンにいるという高等遊民なのだから、最初から地に足はついていない。その点では、事件に関わった留学生たちとほとんどかわらない。

“語学留学”という、最も気楽な身分で海外生活をすることの楽しさ。目的のハッキリしない旅ではなく、いちおうの目的を定めた海外生活の方が、人生の進行を停止させた時間を過ごすにあたってどれだけ気が楽か。メラニーと行動をともにするトーマスや、街中にあふれる現地人学生たちに混ざった“留学生”たちの姿を眺めながら、そんなことの方へと思考が流れていく。

だがしかし、まさにそうした隙間の時間にいたからこそ、被害者を含む事件を構成する登場人物たちの全員が魔物に出逢ったのだろうし、トーマスは必要以上にその魔物の棲まう地帯に引き込まれたのだろう。そう考えると、映画から離れた夢想のようなものが、意外と物語の本質に触れていて、しかもそういう夢想をさせること自体がこの映画の機能だとしたら面白い、と感じ始めた。

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公開情報

(C)ANGEL FACE FILMS LIMITED / BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2014.
9月5日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
配給: ブロードメディア・スタジオ
公式サイト: http://www.angel-kieta.com/