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倒錯の中心

パク・チャヌク『お嬢さん』

文=

updated 03.04.2017

すみずみまで過剰だけど、たまげる展開があったり想像を絶する変態行為がおこなわれるわけではない。にもかかわらず、スリリングな映画だった。

なによりも、韓国人俳優たちが日本人を演じる韓国人を演じるという二重のお芝居にハラハラさせられるのである。だが、それ以外の部分が弱いわけではない。むしろ映画として隙なく出来上がっているが故に、日本語や日本的所作の微妙だったりあからさまだったりするゆらぎに神経がいくということでもある。

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舞台は日本統治下の朝鮮半島で、主人公は4人いる。ひとりは盗賊団に育てられた少女スッキ(キム・テリ)、もうひとりは藤原伯爵を名乗る詐欺師(ハジョン・ウ)。藤原伯爵がメイドとしてスッキを送り込むのが、“華族の令嬢”秀子(キム・ミニ)とその叔父上月(チョ・ジヌン)の暮らす屋敷である。

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スッキの手引きにより秀子を籠絡し、その莫大な資産を奪い去ろうという藤原伯爵の計画によって、この4人がねじれにねじれた関係を結び合う。陰謀につぐ陰謀によって全員がだましだまされ、風景を一時も休まず回転させながら物語が進む。時制は入り乱れ、視点も絶えず切り替わる。それでもなお余裕しゃくしゃくで語り続けられるのは、当然チャヌク腕力あってのことにほかならない。

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あらすじにはこれ以上踏み込まないが、上述のとおり主要登場人物の中には誰一人日本人がいない。キャストのみならず、彼らの演じる人物たちの中にも日本人はいない。それでも日本名を名乗るものがいて、日本語が話され、日本人としての行動がなされる。

あまつさえ、上月は日本の稀覯本のコレクターであり、いわゆる極端な耽美趣味の朗読会のようなものを、定期的に開いている。そこでは日本語が読み上げられる。そしてホストも客も、母国語でない言語空間が故にとしか思えない興奮のたかまりに身をよじらせながら、性的カタルシスを得る。

ここにこそ、この映画の核がある。文化的抑圧の中に徹底して身を置くことがそのまま官能に結びつくという点が、この物語における最も重大な倒錯なのだ。もちろん、客の中には日本人もいるのかもしれない。だが、もしいたとしても事情はかわらない。“現地人”の朗読する“偽の日本語”によって興奮する連中は、二重三重に転倒しているといえるのだから。

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これに比べれば、同性愛・異性愛の往還、主人・召使い、男・女の役割転倒などは、秘密というものの持つ子どもっぽい悦びに過ぎず、倒錯とはとうてい呼べないだろう。ただし、同性愛/異性愛という嗜好や男女などの社会的役割もまた仮面であるという一点において、上述の文化的倒錯の仕組みに通底しているともいえるだろう。性的嗜好も言語も文化も、ここではみな悦楽を生成する仮面なのだ。

考えてみると、日本語ないし日本文化を材料とした、この種の物語には接したことがなかった気がする。そういう意味でも、興味深い映画である。

公開情報

3月3日(金)TOHOシネマズシャンテ他全国ロードショー
(C)CJ E&M Corporation ojosan.jp
公式サイト: http://ojosan.jp/