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否定しがたい悦び

ミロスラヴ・スラボシュビツキー『ザ・トライブ』

文=

updated 04.15.2015

ひとりの少年がバス停に降り立つ。身振り手振りで道を尋ねているようだが、やがて学校施設のようなところに辿りつく。中庭では卒業式が開催されているようで、教師と思しき中年男女に挨拶をして去ってゆく若者たちがいる。そこに至ってもまだ言葉は発声されない。この映画では、最後まで登場人物たちがセリフを発することはない。

いや、手話による言語活動はさかんに行われる。ただ、聾唖者である彼らの発する言葉は、手話を解さないわれわれには言語として伝わらない。彼らが興奮すれば息が漏れたり弾けたりする音は聞こえるし、話かけるとき相手の身体に触れたり叩いたりする音も響く。音だけを聞いていれば、獣同士のじゃれあい彷彿させる。

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それでも、何事が進行中であるのかは見ていればわかる。カメラは一定の距離をおいて、概ねひとつのシーンの中ではカット割りされることなく彼らの様子を見守る。監督はサイレント映画へのオマージュを語っていて、たしかにその時代の映画を思わせるフレーミングが出現することもある。しかしながら、画作りを似せるのが主眼ではなく、言語を介すことなく物語るというのがここでの試みの中心にある。思えばサイレント映画でも字幕という言語の介入があり、ときには活弁士や伴奏曲による補足もあったわけだが、この作品においては状況音がある代わりに、そうしたものいっさいがない。

転入してきた少年は、イニシエーションとしての乱闘で力を示し、校内を支配する組織に受け入れられる。組織を取り仕切るリーダーとしての生徒がひとりいる。幹部を介して配下の生徒たちにガラクタのおもちゃを卸し、彼らはそれを鉄道車内などで売りさばく。また、リーダーの愛人ともうひとりの女子学生は、長距離トラックの運転手相手に売春をして稼いでいる。男子生徒ひとりがポン引きとして運転席の窓を叩き、メモ用紙を用いて料金交渉を行う。

ときには、夜間の路上で買い物帰りの老人を襲うこともある。激しい暴力を加えた上で買い物袋を奪いとる。年少の者たちを含む生徒たちがそれを待ち構えていて、公園を浸す闇の隅々から湧き出るように姿を現し、袋に群がる。その様子は、ただちにトッド・ブラウニングの『フリークス』(32)を思い起こさせる。まさに、聾唖者以外の者が足を踏み込むことのできない、完全に閉ざされたひとつの“部族(=トライブ)”の饗宴である。“部族”のあり方にはアラン・クラークの『スカム』(77, 79)の、そして撮影スタイルには同じくクラークの『エレファント』(89)の遙かな血脈も感じられるだろう。

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数名の幹部上級生たちがブルーグレーの小汚い廊下を歩いたり、低学年から高学年にいたるまでの集団が暴力の予感に興奮しながら空き地を移動したり、あるいはずらりと並んだトラックの運転席から運転席へと移動したりと、とにかく最初から最後まで移動の感覚がこの映画を織り上げている。

移動する彼らの身体は、“部族”として統率された行動ともあいまって、否定しがたい視覚の悦びをわれわれにもたらす。激越する感情を伝え合う手話の身振り手振りはやがて激しく複雑な群舞のように見え始め、われわれを奇妙なトランス状態へと導くだろう。あたかも、より激しくよりアクロバティックな振り付けを求めるように、もっと酷いことをしろ、もっと凄惨なものを見せろとむさぼるように念じている己に気づくのだ。

この映画の主人公たちが聾唖者であること自体に、善意も悪意もない。まぎれもなく彼らはただカッコイイし、その現実をわれわれの目の前に現出させ得たこの映画はたしかに、ひとつの画期的な出来事として屹立している。

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公開情報

4月18日[土]よりユーロスペース、新宿シネマカリテほかにて公開 全国順次ロードショー
© GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 © UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014
配給:彩プロ/ミモザフィルムズ
公式HP:www.thetribe.jp