Vivian Maier Self-Portrait

“発見”されたものたち

ジョン・マルーフ+チャーリー・シスケル
『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』

文=

updated 10.07.2015

2007年の冬、シカゴの街を題材に歴史書の執筆を進めていたひとりの男が、380ドルの価格でひとつの箱を競り落とした。しばらくの間放置した後、彼はその中あった大量のネガ・フィルムに目を通しはじめる。ヴィヴィアン・マイヤーの写真が“発見”された瞬間だった。

男の名前はジョン・マルーフ。このドキュメンタリーの作り手のひとりでもある。マルーフは、“発見”した写真をデジタル化し、少しずつネット上に公開してゆく。たちまちのうちに予想以上の反響が巻きおこるが、ヴィヴィアン・マイヤーという名を持つ“謎の写真家”の正体はなかなか判明しない。

ところが2009年になって、彼はマイヤーの死亡記事に行き当たる。彼女は、そのほんの数日前にこの世を去ったばかりだったのだ。マルーフの探索行は、そこからようやく具体的なかたちをとる。

マイヤーは、プロの「乳母(ナニー)」として生きていた。生前の彼女を知る者たちでさえ、彼女がいつでもカメラを持ち歩いていたことは覚えているものの、作品を見たことはなかった。晩年の彼女は、かつて彼女に育てられた人々によって支えられていた。そのことは、マイヤーが乳母として愛されていたという事実を示しているように見えるが、虐待そのものでしかないような扱いをされたと語る者もいる。

フランス人として記憶されていたり(だが、記録によればニューヨーク生まれの紛れもないアメリカ人だった)、スパイを自称していたと証言する者もある。ただひとつたしかなのは、まともな社会生活を築くことができないまま孤独な生涯を送ったということであり、それはおそらく、現代であれば病名を付けられていたに違いない何らかの精神疾患によるところが大きかったのだろうと想像することもできる。

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それは彼女の撮った、鮮やかな明るさを持つスナップ写真がわれわれに与える第一印象とはまるで異なる人物像かも知れない。だが、人々の中に溶け込めないからといって、人間世界への興味がないとはいいきれない。むしろそれ故に強烈な関心を持つこともあるだろう。

マイヤーは世界中で起こる凄惨な事件の記事を蒐集し続け、自宅の床は未整理の古新聞で抜けんばかりになっていたという。毎日毎日、人の邪悪さを証明し、この世が生きる値しないことを示す事実をかき集めていたのだ。あまつさえ、人間の暗黒面について幼い子どもに語り聞かせ、トラウマめいたものを刻印することさえしていたのだという。

だから彼女は、カメラで身を護りながら世界の踏査に出かけたのだろう。その意味では、まさにスパイだったのだ。幼い子どもたちを引き連れ、スラム街や屠畜場にまで訪れた。しかも、あれだけ他人と関わることのできない人間であったのに、路上で突然見知らぬ人にポーズを指示し、シャッターを切るとさっさと立ち去ることもあったという証言がある。

たしかに、居心地の悪い思いをしながら生きている人間にとって、カメラというのはかっこうの言い訳にもなる。カメラさえ持っていれば、そこにいることの理由を説明しなくてもよい。「わたしはあなたたちとは違う存在であって、ここには見に来ただけ」という顔が許されるような気がしないだろうか。

たとえば、知人や友人の結婚式に招待されたのはいいものの、ほかに知り合いはひとりもおらず、同じテーブルの人々と楽しく会話するのもツライというとき、カメラを持ち記録係のような顔をして会場をうろついていると気がまぎれるものだ。しかもそうやってシャッターを切っていると、誰にも気づかれることなく人間たちを観察できる特権的な存在になったような気分にさえなれる。

実際、彼女にまつわる様々な情報を知った上でマイヤーの写真を見つめてゆくと、そこには近さと遠さ、嫌悪と興味、恐怖と愛情、優しさと冷酷さとの間の震えるような振幅があるような気がしはじめる。もちろん、優れた写真家がすべからく身につけている透徹した視線によって、あらゆるものが迷いなく切断されることで鮮烈なイメージが生成されているのはあきらかなのだが、そこには、見たいけれど見たくない、止めたいけど止められないという、ある種のアディクションめいた葛藤すら感じられて来はしないだろうか。といってしまうと後知恵がすぎるかも知れないが。

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マイヤーは、ネガやポジのほか、8ミリや16ミリのフィルム、そして音声を録音したカセット・テープ、さらにはありとあらゆる紙切れに書き付けた大量のメモを残しているのだという。原稿をすべて燃やすようにと言い遺したカフカになぞらえて、これらの作品を世に問うことは故人の遺志に反するのではないかと議論する向きもあるだろう。だがマイヤー自身の意志はともかくとして、ジョン・マルーフという人間によって“発見”されるべき物語と作品はまだそこにいくらでもあるわけで、彼は生涯マイヤーに憑かれて生きることになることだけはまちがいない。そういう意味で、マルーフはむしろマイヤーによって“発見”されたという方が正しいだろうし、地上に生きる人類の一員たるわれわれだって、マイヤーの写真によって“発見”された存在でしかないのだ。

公開情報

(C)Vivian Maier_Maloof Collection
10月10日(土)より、シアター・イメージ・フォーラムにて