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光によって作られた影の物語

エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』

文=

updated 03.10.2017

録画してあったVHSがどこかにいってしまってから、あまりにも長い間見直したいと願っていたわりに覚えていたショットは少なくて、しかもそこから立ち上がってくる物語の輪郭も記憶どおりではなく、まったく新しい映画に接しているような気持ちになった。ただ、音と映像のかたまりとしての触感だけが同じで、見終えてから一週間以上の間、ふとなにかあたたかいものを抱えていたことに気づいて何だったっけなと考えると、この映画の残したものだったことに気づくということが幾度となくあった。

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まず、物語にはほとんどわかりにくい点がなかった。省略や飛躍はあっても、思わせぶりなところひとつもない。ただし、物語がシンプルであるというわけではない。

1960年代の台湾、抗争する不良グループたち、醒めた気持ちのままその周縁部にいる主人公・小四(チャン・チェン)、その前に現れる少女・小明(リサ・ヤン)。小明は不良たちのリーダーであるハニー(リン・ホンミン)とつきあっていたが、彼は人を殺した後台南へと逃走していた。その不在の中、グループ内の力学が狂い始めている。こんな風にあらすじをまとめていっても、この映画の味わいはほとんど伝わらないだろう。

物語の上でも映像の上でも、これは徹頭して光と影の映画であるということはできる。いやむしろ、光によって作られた影の物語といった方が精確だろう。たとえば、全編を通して強い印象を残す街灯と街路樹がつくる深い陰影の縞は、言語を介すことなくその事実をくっきりと前面化して見せている。

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光は、ジェームス・ディーン、エルヴィス・プレスリー、ジョン・ウェインの体現するアメリカン・カルチャーでもあるし、小四にとっては小明でもある。あるいはまた、ふたりや不良少年たちにとってのハニーでもあるだろう。

光はいたるところに影を落とす。暴力と接する日常を生きている不良たちがプレスリーを歌い、その曲で踊る。小明の放つ光は、彼女自身の背後に貧しい家庭環境という影を持つ。それが、学校の青年医や小四の“親友”である裕福な小馬(タン・チーガン)の方へと小明へ押し寄せる影の力を生成するだろう。なによりも小四にとってまぶしすぎるその光はやがて、彼を独善的な極へと追い込むのである。

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そしてまた台湾そのものが、大陸を実効支配する共産党による中華人民共和国の巨大な影の中にある。物語は1961年ごろの出来事であるから、1949年に国民党政府が台湾になだれ込んできてから、まだわずか11年目のことである。たとえば小四の親たちは大陸での生活の記憶をもち、蒋介石による恐怖政治の影の中で身を縮めて生きている。実際に、あらぬ嫌疑から長時間の拘束と自白を強要されることすらある。そんな彼らの子どもの世代は、さらに濃い影の中で生きていたということができるだろう。

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小四たちは、学校のそばにある撮影所から強力な懐中電灯を盗み出す。小四にとってのその強烈な光線は、影の中にある現実世界に切れ目を入れる刃物の役割を果たしていた。その切れ目を通して、かろうじて現実世界へと視線を注ぎ込んでいたのである。

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興味深いディテイルもたくさんある。たとえばあっけなく帰還したハニーの、水兵服にコートをはおり下駄を高らかに響かせるといういでたちは、具体的にあの登場人物と名指しできないが、どこか手塚治虫のキャラクターを思わせる愛らしさを持っていた。そしてそのハニーが、ひたすら身を隠すだけの逃亡生活の中で時間を潰すために面白い武侠小説を読んでいたと語るのだが、そのタイトルが『戦争と平和』だというのが面白い。個人的に、とうとう読む機会がめぐってきたかも知れないと感じてしまった。

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まだいくらでも発見すべき物語、あじわうべき細部が隠されているにちがいない。そしてそれを、好きなだけ確認することのできる時がやってきたという事実を嚙みしめたい。

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ところで、クライテリオン版のブルーレイに収められていたチャン・チェンへのインタヴューによると、エドワード・ヤンはさまざまな“メソッド”を用いたのだという。たとえば彼の演じる小四が、乱闘の後の死体を発見するシーンでは、何も説明せずコンテナのようなところに長時間閉じこめておくことであの虚ろな表情を引き出した。また登場人物たちと同世代の連中、すなわちヤンの同級生たちに引き合わせ、当時の話し方や彼らの持っていた空気感に触れられるようにも配慮した。

これはチャン・チェンがはじめて俳優という職業の面白さを見いだした映画だったというが、共演した仲間たちはその後それぞれの道を歩んでいる。それでも、ヤン学校の卒業生として定期的に同窓会を開いていると話していた。

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公開情報

3月11日(土)より角川シネマ有楽町、

3月18日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
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