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ナチと南米とセクト

フロリアン・ガレンベルガー『コロニア』

文=

updated 09.18.2016

時は1973年9月、場所はチリの首都サンティアゴ。ヒロインのCAレナ(エマ・ワトソン)は、現地に在住するドイツ人の恋人ダニエル(ダニエル・ブリューゲル)のもとを訪れるが再会もつかの間、ピノチェト将軍によるクーデターに遭遇する。ダニエルとともに路上で拘束されるところから、この映画の物語ははじまる。

そう、コスタ・ガヴラスの『ミッシング』(82)などでおなじみの、あの「スタジアム」での風景が再現されるのである。アジェンデ派と見なされた無数の市民が集められ、ある者はその場で殺戮され、ある者は秘密警察の持つ施設へと送られる。レナは無事に釈放されたものの、アジェンデ政権を支援する活動に深く関与していたダニエルはいずこへかと移送され、苛烈な拷問を受けることになる。

身の危険を顧みずダニエルの行方を探索していたレナは、ある“共同体”の存在に行き当たる。「コロニア・ディグニダ(尊厳のコロニー)」と呼ばれるその場所は、元ナチス軍曹パウル・シェーファー(ミカエル・ニクヴィスト)によって開設されたドイツ系移民のコミュニティだった。表面上は禁欲的な戒律のもと農業に従事する宗教セクトにすぎないが、ピノチェト政権との密接な関係のもとでは、政治犯の強制収容所および秘密軍事施設としての機能を果たしていた。

Lena (Emma Watson) in “Coloniaâ€

そうした情報を手に入れたレナは、単身“共同体”に侵入しダニエル奪還の機会をうかがう。もちろん特殊工作員ではない以上、“侵入”とはいっても“教皇”パウルへの帰依を近い、共同体の一員に加わるというかたちをとらざるを得ない。それは、女性にとってはさらに過酷な環境を意味していた。「コロニア・ディグニダ」では、家族は分割され、結婚はおろか恋愛感情を抱くこと自体も禁止されていた。男女の生活空間が厳しく隔てられ接触が禁じられているのみならず、“小児性愛の男色家”シェーファーの嗜好をわかりやすく反映し、女性は完全に男性の下位に置かれていたのである。

そういえば80年代には、1973年の「チリ・クーデター」およびピノチェト将軍といえば、クラッシュやスティングといった連中の楽曲で繰り返し言及され、それこそ南アフリカの「アパルトヘイト」と並ぶ“悪”の代表格だった。また、南米は「ナチ残党」の隠れ棲む大陸でもある。実際80年代初頭に、ペルーのジャングル奥深くに突如、ドイツ系の苗字を持つ白人だらけの小さな町が出現するのを見て、アルゼンチンで拘束されたアイヒマンについての知識などは持っていなかったのだが、その共同体の出自に想像をめぐらせて楽しんだものだった。

Paul Schäfer (Michael Nyqvist), Lena (Emma Watson) in “Coloniaâ€

そういうわけで、個人的にはちょっとした懐かしさを覚えながらこの映画を見はじめるわけだが、それにしてもピノチェトがらみでまだこうした“社会派”的意識のある映画の題材が残っていたという事実には少し驚いた。

なにしろ近年では、『光のノスタルジア』(10)、『真珠のボタン』(15)といった、ドキュメンタリー作家パトリシオ・グスマンによる一連の作品があるわけで、1973年の時点でなされた“悪”が精算されることなく、そのまま地続きで現在にまでつながっている社会の暗いねじれの方が、いまでははるかにわれわれの身に迫るものであることを知ってしまっているのだから。それはもはや、ひとりやふたりの“極悪人”という話でもないし、ましてや“アメリカ帝国主義”に憤ってみせればよいという話ではとうていない。

ただしこの映画も、そうしたことに完全に無自覚ではない。シェーファーによって起動された“悪”が、共同体の住民たちによっていかにして積極的に磨き上げられ運営されているのかということ、まあ要するに“カルト集団”内の力学が、いわば自動的に主人公たちの運命を翻弄するという側面を忘れてはいない様子なのだ。“独裁者”と“カルト集団”の間には、周知のとおり“加害者”と“被害者”の関係はない。そこには、“持ちつ持たれつ”という、最も凡庸な関係があるのみである。

(L to R) Gisela (RICHENDA CAREY) with Lena (EMMA WATSO) in “Coloniaâ€?.

たとえば、こんなシーンがある。“話のわかる親分”もしくは“兄貴分”然として、“女子ども”を侮蔑する下品なジョークを飛ばしてみせるシェーファーの“気さくさ”や“男らしさ”に同調し、“無礼講”ギリギリのラインで哄笑してみせる男性住民たちの姿には、気味の悪い既視感がないだろうか。これは、団塊世代前後の男性によって経営される中小企業のうち、いわゆる“昭和の会社”と呼ばれるような集団でもよく見られる光景ではないか。“男性”性に依拠して作られた集団であれば、どんなものであっても事情は変わらない。

そういう意味でも、レナという女性が男性である恋人ダニエルを救出することで、「コロニア」内にある性の絶対的ヒエラルキーを転倒させるというのは、ここのところの“女性映画”の隆盛を考慮しなくても、正しい図式といえるだろう。だいたいのところ、“非道”の現場をその場で写真に収めたいという、“ジャーナリスト根性”というよりは単なる“向こう見ず”な“青臭さ”故に拘束されたダニエルは、われわれから見れば“自己満足野郎”以外の何者でもないのだし。

Lena (EMMA WATSON) in “Coloniaâ€?.

最後に付け加えておくとすれば、一本の手軽なサスペンス映画として見ても、出発点にある“良識”にもかかわらず“ベタ”を怖れないという勇気には、好感を覚えさせられるだろう。

公開情報

©2015 MAJESTIC FILMPRODUKTION GMBH/IRIS PRODUCTIONS S.A./RAT PACK FILMPRODUKTION GMBH/REZO PRODUCTIONS S.A.R.L./FRED FILMS COLONIA LTD.
9月17日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ新宿ほか全国ロードショー
配給:REGENTS、日活