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不用意に、立ち止まる

ジャン=マルク・ヴァレ
『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』

文=

updated 02.17.2017

われわれの生きる現実世界は脆く、ほんのささいなことで壊れる。大災害に見舞われる必要もない。ただ、いつもは気にもとめていなかった風景に視線を留めたり、思いもよらなかった思考の片隅にちょっとだけ長く滞留するだけでいい。世界の見慣れた表面はたちまちのうちに溶解し、別の貌が姿を現す。

この映画の主人公デイヴィス(ジェク・ギレンホール)が陥るのは、その状態である。一見、妻の交通事故死がそのきっかけとなったようだが、精確には少し違う。妻が死んでも哀しくないとか、死んではじめて妻を愛していなかったことがわかったとかいうことが引き金を引いたわけではない。ただ、そうした事実の前で不用意に立ち止まってしまったということだけが、彼の現実世界を崩壊させたのである。

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いずれにせよ、近親者の死に出遭った人間の精神状態は狂うのがあたりまえなのであって、そう思っておけばたとえ瞬間的に「哀しくない自分」に気づいたとしてもそんなことには目をつむり、ひたすら「前進」に努めることができる。普通の人々なら、そうする。「哀しくないからには愛していなかったに違いない。それなのにその女性と結婚し、おまけに義理の父親の庇護の元でのうのうと生きようとするとは、自分はどれほど空虚な人間なのか」などといった理屈と倫理の隘路にはまり込んでも、何の得にもならない。

これまでのギレンホールの役柄、特に『ナイトクローラー』(14)での強烈にアスペルガー的な人格が目にこびりついているため、「人間性を失った病的な男が、妻の死を契機にそれを取り戻すまでの話」であるかのように今作を見てしまいがちだが、生真面目という一点では同じであっても、デイヴィスは“人間性”を喪失しているわけではない。

人間的感情を持たないから「妻を愛していなかった」わけではないのだ。そもそも“人間性”を持たない人間であれば、そんなことが気にかかるはずもない。デイヴィスの場合は生真面目でかつ“人間性”も持ち合わせていたから、そこにひっかかった。その途端に、現実は彼の元を去った。こうして、現実であるという触感を与えるものは何一つなくなった。

生真面目なデイヴィスのことであるから、手ざわりがないのなら世界を分解し、その奥なり内側なりを徹底的に探らなければ気が済まなくなる。もしかしたらそこには、手で触ることのできる現実世界そのもの、つまりこの世界の根拠のようなものがあるかもしれないではないか。

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妻の父親(クリス・クーパー)によって保証されていた“勝ち組”の生活を構成するものひとつひとつを破壊し、それらをわが身から引き剥がしていく。モノを破壊しているように見えて、実際には自らの身体ないし精神の皮を一枚一枚剥ぎ取るという作業にほかならない。

妻が死んだ病院の廊下にある自販機が不具合を起こすと、その自販機こそが機能不全に陥った現実そのものとなる。現実とは彼自身のことにほかならない。そこで、不具合ぶりを淡々と手紙にしたためて自販機の苦情係に送り続けることになる。それを受け取るのが、「顧客担当責任者」のカレン(ナオミ・ワッツ)である。

カレンの生きる現実も、決して支障なく機能しているわけではない。むしろその逆である。だからこそ、デイヴィスのただならぬ現実崩壊ぶりに吸い寄せられる。そこにこそ自らの現実を修復する手がかりがあるかのように、見えたのである。

こうして奇妙な共闘がはじまる。ブライアン・サイプによる脚本のすばらしいところは、ここですぐに傷の舐め合いがはじまらないことだろう。むしろ、デイヴィスにとってはカレンもまた、精緻な検討を加えるべき現実の一部でしかないところから関係がはじまる。カレンの息子、クリス(ジューダ・ルイス)にしても同様である。

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ただし、思春期にあるクリスの側からすれば、現実のあらゆる側面を当たり前のものとして受け止めずすべてに疑問を投げかけ、あまつさえ社会的地位の象徴である高級住宅とその内部を破壊してゆくデイヴィスの姿は、ウソのない存在として映る。もちろん、その認識もまた誤りではない。このときのデイヴィスほど、ウソから身を遠ざけようとしている人間もいないのだから。

こうして、思いがけぬ仲間たちを同道しながら、デイヴィスの探索が続く。その先には何が待つのか。

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それはもちろん、どこまで表層を引っぺがしていっても現実世界の核には到達しないと了解すること、すなわちこの世界に根拠などないという事実を腹の底から認めることで自らを解放するという境地にほかならない。だが、それを物語の上で実現してみせるための、さりげなくかつ一見ハート・ウォーミングな印象を与えるちょっとした小道具の使い方には、ちょっと撃たれた。

世界はひっくり返らないし、意外な真実が明らかにされることもない。ただ、わかっているとたかをくくっていた現実のありようが、実はまったく違っていたというだけのことだ。そんな現実の貌がいくらでもあるという事実そのものが、われわれが生きる上では救いとなる。

かくて、ささいなことをスペクタクルとして見せ、劇的な出来事をさりげなく提示するというヴァレの映画的物語りの手つきは、今回も成功していたのである。

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公開情報

2/18(土)より、新宿シネマカリテ他全国公開!
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