THE FREE STATE OF JONES

「その後」の戦い

ゲイリー・ロス『ニュートン・ナイト』

文=

updated 02.06.2017

ミシシッピー州ジョーンズ群の小さな農家に生まれた一人の男がいた。1837年のことだとされているが、諸説ある。いずれにせよ、1861年にはじまった南北戦争ではアメリカ連合国軍(南軍)に徴募され、翌62年には仲間たちと共に軍を離脱する。

食料弾薬の補給が窮乏していたことや、厳しい生活を送っていた故郷の家族たちが南軍の徴用によってさらに苦境へと追いやられたことなど、さまざまな要因があったことはたしかなようだが、所有する黒人奴隷20人につき一人を兵役免除にするという法律の制定が直接の原因だったと多くの人々が信じている。この映画はその男、ニュートン・ナイト(マシュー・マコノヒー)の物語を語る。

THE FREE STATE OF JONES

ナイトとその一派は、正規軍が足を踏み入れられない湿地帯に潜み、ほかの脱走兵や脱走奴隷たちと合流する。地元の女性や奴隷たちによる支援に支えられ、仲間たちは増えてゆく。やがて彼ら「自由反乱軍」は各地で南軍との戦闘に入り、また徴税吏員たちの妨害工作を繰り返した。近年発見された当時の南軍少将に宛てられた報告の手紙によると、この頃「ジョーンズ自由郡」の持つ兵力は600人ほどと見られていたらしい。

Newt (Matthew McConaughey) and his men (including Mahershala Ali) storm the Deason house

南北戦争は1865年に終結する。ナイトらは「勝ち組」に与したことになったわけだが、この映画の優れている点はここで物語の幕を下ろさない点にある。黒人奴隷は解放され、「自由反乱軍」もまた使命を終え生活の場所へ帰還すれば良いはずだった。しかし戦後処理が一段落すると、すべてはほとんど元通りの状況へと逆戻りするのである。選挙権を獲得したはずの黒人たちも、選挙登録しようとすればイヤがらせを受ける。あまつさえ、黒人たちに投票を呼びかけたかつての仲間は殺害される。

史実によれば戦後のナイトは、保安官補として、あるいは白人民兵組織から住民たちを守るために組織された黒人兵たちの連隊を率いるなどして「再建」に尽力している。だが1877年にはその「再建」が正式に覆され、人種隔離政策が実施されると、ナイトも身を退いている。

さて、映画ではナイトたちの物語の合間に、それから85年後にあたる1947年の風景が挿し挟まれる。そこではナイトの子孫の一人が白人女性と結婚するにあたって、その血に流れているとされる八分の一の黒人の血統をめぐり裁判の被告となっている。人種を隔離するこの「ジム・クロウ法」が、公民権法によって停止されるには1964年まで待たなければならない。しかも、公民権法が実際に効力を発揮し社会に浸透するまでには、そこからさらに時間を要したことは周知のとおりである。

THE FREE STATE OF JONES

つまりこの映画は、歴史の時間軸の一部分だけを切り取ればいかようにでも勧善懲悪のアクション映画として娯楽性を高めることができるわけでだが、決して「その後」を忘れることがないのだ。何かを成し遂げたように見えても、必ず「その後」がやってきてそれを削り取り突き崩していく。そこから「その後」の戦いがはじまる。

主人公たちは、永遠に続く「その後」を生き続ける。それは決して割り切れるかたちばかりのものではない。たとえば、この映画において脚色されたナイト家では、前妻と後妻、また二人との間に設けた子どもたち全員が同居することになる。「コミューン」的な自由さの表現ではない。ただ単に、徴兵されその後脱走兵として「犯罪者」になった夫を離れざるを得なかった前妻が、各地を放浪した挙げ句生活に困って戦後のナイトを訪ねたに過ぎないという形で、その選択肢が提示されるのだ。その頃までにはナイトの方も、支援者の一人であった黒人女性と暮らしていた。この部分が、1947年を生きる子孫の戦いと「その後」へとつながっていく。

昂揚が失われ失意に呑み込まれた「その後」の戦いほど厳しいものはないだろう。それが「前夜」であると認識することだけが、それを生き延びさせるということもあるにちがいない。だが、ひとつの「その後」と次の「その後」との間のわずかな隔たりにこそ意味がある。だから、われわれにとっては「その後」の戦いこそが重要なのだ。

公開情報

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2017年2月4日(土)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショー中
配給: キノフィルムズ/木下グループ
公式HP: www.newtonknight.jp