tonya_main

〝アホな貧乏白人〟として生きること

クレイグ・ギレスビー
『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』

文=

updated 05.02.2018

トーニャ・ハーディングについては、ライヴァル選手を襲撃した〝アホな貧乏白人〟以上のイメージがない。たしかに、その後のめちゃくちゃな人生もうっすらとは記憶に残っている。でも、そんな彼女を主人公に映画を作っても、お約束通りなコメディ以外のかたちに仕上がることなどあるのだろうか。ハーディングの名を覚えている世代であれば、大方はそう考えるはずだ。ところがこの映画は、ハーディングについてのイメージを覆すというよりも、ひと言でいえば〝アホな貧乏白人〟であることの意味を、今まで見たことのない近さで体験させる作品だったのである。

母子家庭、母親による幼少期からの苛烈な暴力、教育の欠如、暴力男との結婚。ハーディングのプロフィールを見れば、〝貧乏白人〟のイメージに収まるものが、すべて揃っている。だが、母の暴力によって仕込まれたアイススケートがハーディングにとって唯一の人並みはずれた才能であり、それだけが〝貧乏白人〟離脱への道筋だったのだ。この映画ではまずその視点が導入され、我々の心をつかむ。

アイススケートは趣味で始めたわけでも、ただ勝のが楽しくて続けたわけでもない。好むと好まざるとに関わらず、物心ついてからそれ以外の選択肢がなかったに過ぎない。スケートのために教育の機会をすべて投げ打って生きて来た彼女は、アイススケーターとして生きる道を失えば、母親同様ウェイトレスとして残りの人生を過ごすしかないのだ。実際ハーディングは、幾度かの挫折の度にウェイトレスとしてかろうじて生活を支える事態に陥る。

加えて、当初は彼女の才能を素直に賞賛する繊細な理解者であるように見えた恋人ジェフもまた、関係を結ぶやいなやたちまちのうちに彼女を殴り始める。殴られる彼女の方は、「母も殴るけど、私を愛している」という理屈によって、そんな彼と結婚する。事ほど左様に、〝アホな貧乏白人〟のイメージを裏切らない過ちが幾重にも積み上がっていく。

それをただそのまま提示されても、見ている側は露悪趣味にうんざりするか、彼らのアホさかげんに呆れかえるほかないのだが、ここで、この映画の用いる多重視点が意外な効果を発揮することになる。すなわち主要登場人物たちがカメラに向かって語るという形で紹介されるそれぞれの主観的見解が、観客である我々とハーディングの間に客観性という距離を打ちこむかに見えて、実は限りなく両者の間を縮めはじめるのだ。

たとえばジェフとハーディングの言い分の間には、矛盾がいくつもある。だが、矛盾に接すれば接するほど、おしなべて身勝手でめちゃくちゃなことを口走る連中に囲まれて生きてきたハーディングへの同情心だけが強化されていく。やがては、襲撃事件など彼女の世界ではただ単にあり得べき出来事の1つに過ぎず、その真相などどうでもよいという気持ちにすらさせられるだろう。

そういうわけで、この映画でハーディングを演じるマーゴット・ロビーがとにかくカッコ良く見えて仕方がなくなれば、この作品が機能しているということになる。時にはもの凄いとしか言いようのない面相になる彼女だが、それも含めて魅力的に見えるのだ。

スケートリンク上では、誰が見ても型破りで〝お行儀の悪い〟滑りをする。それが、ハッキリとロック的なカッコ良さが伝わるようにカットを割られ、音響効果を付けられると、氷を抉る音が、口汚い罵りと相まって小気味良く耳に響きはじめる。そしてついには「お上品な選手など蹴散らしてしまえ」という気持ちにすらさせるのだから、危険な映画ではある。この時点ではもちろん、実物の容姿など思い出せなくなっている。

加えて、ジェフ役にキャスティングされたセバスチャン・スタンのたたずまいもまた、見事に機能している。最初は好青年にしか見えないのだが、それ故に暴力を振るおうが身勝手に泣きわめこうが、卑劣なストーキング行為に走ろうが、根本においてはこの青年もまた被害者に違いないという感情移入が絶えることはない。娘への仕打ちだけを考えれば悪魔としか思えない母親(アリソン・ジャネイ)もまた、両義性を持って描かれており、なかなか断罪する気持ちになれない。

 

さらにはジェフの親友に、これは真正の病の次元に達しているとしか思えない、ショーンという男がいる。これを演じるポール・ウォルター・ハウザーの身体が隅々まで体現しているアホぶりがすさまじく、「これはデフォルメが過ぎるのだろうけど、面白いからいいや」などと考えながら見ていると、エンドロールで実物のインタヴュー映像が挿し込まれ、劇中のセリフをそのまま話す姿が瓜二つで.二度ひっくり返りそうになるのだ。

つまり〝アホな貧乏白人〟として生きるということは、どんな資質を持っていようがどれほど努力を重ねようが、自らを含めて周囲に棲息する〝アホな貧乏白人〟どものために、かなりの高確率ですべてが裏目に出るということなのだ。そしてそこには、真の悪意すら存在しない可能性がある。これほど絶望的なことがあるだろうか。

と、ここまで書きつけてみれば、あれこれ御託を並べてみたところで、我ながら見事にこの映画のメロドラマに絡め取られていたということがわかる。なにしろ、嫌悪の対象どころか何の興味もなかったハーディングの側に立って、手に汗を握っているのだから。彼女の人生そのものの磁力があったとしても、ここまで巧みな劇映画化はそう易々とできるものではない。

公開情報

5月4日(金・祝)より、TOHOシネマズシャンてほか、全国ロードショー
©2017 AI Film Entertainment LLC